2016年6月30日木曜日

ベニシジミ


いつも忙しそうにしている、シジミやベニシジミ、我が家で最も一般的な蝶です。


この日はオカトラノオの蜜をせっせと吸っていました。


畳んだ羽の内側は、もっと濃い色をしています。
 







2016年6月28日火曜日

カタツムリ


「カタツムリさん、もう一本の角も出してよ」
 

しばらく見ていましたが、出す気はないようでした。





2016年6月27日月曜日

トンボ


カメラを向けたら飛んで行って、ぐるっとまわって、またここに戻ってきました。


そういえば、トンボにはよくそんなことがあります。









2016年6月26日日曜日


草を刈っていたら、コウゾに実が生っていました。
ということは、モミジイチゴの実は、とっくに終わっているということです。青い実は見たのに、今年も食べどきを逃してしまいました。


コウゾの実は、口に運ぶ気持ちにもなれません。
甘さが寝ぼけていて、酸味が足りないで美味しくない、おまけに口に残る後味が悪いのです。


コウゾは、伐っても伐っても生えてきます。
うっかりしていると生け垣の中にも生え、切っても根が残って毎年勢いよく出てきます。
私が紙漉きをする人なら、その幸運に躍り上がったでしょうけれど、邪魔なんだよねぇ。

桑といい、コウゾといい、カラムシといい、昔人の役に立った植物は、どれも生命力が強いものです。









2016年6月25日土曜日

イノシシ除け


一度イノシシに掘り起こされて、乾いたままで転がっていた被爆エノキは、つくばいの脇に植え直し、なんとか春には芽吹くことができました。
大木になるエノキを、いつまでもつくばいの脇に植えておくこともできないので、梅雨の間にと、植え直しました。
これまで、周りに杭を打って綱を張っていましたが、それでは安心できません。
 

使い古しの板で囲ってみました。


これでも、イノシシがその気になればひとたまりもありません。
でも、ひと手間かかるので、他のところを掘る可能性の方が大きいでしょう。


それにしても、イノシシは飽きずに掘り返すなぁ。
たけさんは、今年は畑の周りにトタン板をめぐらして、ジャガイモを収穫しました。 えいこさんの畑は、狭い範囲を電気柵で囲ってあります。
トタン板が有効だからといって、全体にトタン板を張り巡らすわけにもいかないし、電気柵も張るには範囲が大きすぎるし、守れるものは守って、あとは放っておく以外ありません。







2016年6月24日金曜日

ネジバナ

この季節、いろいろなところで、ネジバナを見かけます。鉢に植えてあるもの、芝生の中に残しているもの。でもどれも、そう見栄えのするものではありません。
我が家にも、芝生の中に生えることがありますが、たいていうっかり刈ってしまいます。


「ここなら、刈られないだろう」
と、石の間から生えている、賢いネジバナもあります。


これだって、見栄えがしないよねぇ。

mmerianさんのブログから拝借

でも、mmerianさんの見たネジバナはどうしてこんなに巻いているの?
我が家のは、約一まわり、mmerianさんが見た宮崎のネジバナは、四まわりもしています。

日にちが経てばもっと巻くのかしらと見ていましたが、下の方の花が枯れてきただけで、これ以上伸びるつもりも、巻くつもりもないようでした。




2016年6月23日木曜日

ヤマアジサイ

筑波山系の上曽峠を越えて、筑西市にあるプレカット屋さんまで木を運んできました。


その山道に、ヤマアジサイが咲いていました。
 

峠より東側の斜面だけに見られましたが、なにか理由があるのでしょうか?


県北では、しっかり間伐して大きな杉やヒノキを育てますが、このあたりの杉・ヒノキ林は、間伐をしていません。密植して、枝が横に張るのを防いで、手入れの手間を省いているとでも言えるでしょうか。


ヤマアジサイは白い花です。



訪問者は、ミツバチではなく、青虫でした。






2016年6月22日水曜日

道風蛙


製材所で見た小さなアマガエル、スミレの葉から葉へ飛び移るたびに葉がしなって、そのたびに落ちそうになります。


それでも葉にしがみついていて、地面に落ちないで、葉の下に隠れて見えなくなったと思うと、また這いあがってきます。


根性あるなぁ!
小野道風になった気分でした。









2016年6月21日火曜日

ちょっと長くしてみました


hiyocoさんから、昨日の蜘蛛の巣は、ナガコガネグモの幼体の隠れ家だと教えていただきました。
今日見たら、巣の形が変わっています。 下の方に伸びている!


真横から見ると、巣は平面です。


雨がぽつぽつ降っていますが、ジンジャーの葉の下、雨が直接当たらないところに巣をつくっています。





2016年6月20日月曜日

今年も見ました


見つけるたびに嬉しくなってしまうこの蜘蛛の巣。


いつも不在なのに、この巣には蜘蛛がいました。
蜘蛛はそう好きになれない蜘蛛だった。好きなのは巣だけです。


今年初めてのオカトラノオ。







2016年6月19日日曜日

淦汲み

「アカクミ」という言葉を初めて知ったのは、たぶんShigeさんのブログででした。
それまで、船底にたまった水を汲み出す作業は、何度も見たことがありましたが、汲み出す道具の名前は知りませんでした。

小さいころ、川の岸辺の、土手の内側に建った家に住んでいました。
その川は、海とつながっている汐入川だけれど、家は、潮の満ち干ではあまり水位が変わらないほど遠く離れた場所にありました。家の対岸にはいつも木の平底舟がつないであり、使う前には必ず水を汲み出しているのを見ました。どの舟もたまにしか使わないので、水がたまり、今にも沈没しそうな舟さえありました。

長じて、タイやカンボジアで暮らし、海や川とともに生きる人たちともかかわり、船しか交通手段のないところにもよく行ったので、その都度船底の水をかい出すのを見ました。
屋根のない船に乗って、土砂降りの雨の中を進んだとき、乗客である私は、やっと身体を覆える大きさのシートを被って、身体を動かさないようにじっとしているだけでしたが、船の助手は、ひたすら水を汲み出していました。
でもその水を汲み出す道具、アカクミとなると、いったいどんな形のものだったのか、まったく覚えていません。東南アジアのそれは、たぶん、持ち手つきのプラスティックの容器(ビン)の底を、斜めに切り落としてつくったものだったのではなかったかと思います。


そんな、板を組んでつくったアカクミを、骨董市の顔なじみの骨董屋さんの店先で見かけたのは、もうずいぶん前のことでした。
「あらぁ」
「あぁ、これ?舟の水をかい出すものだよ」
「いくらなの?」
「四千円かな」
「高っ!」
「ほら、これに花を活ける人が、いるかなぁと思って」


そのときは、それきりになってしまいましたが、そのアカクミが、しばらくして思い出されました。
たぶん、それを逃すと、二度とアカクミに出逢うことはないでしょう。木の舟がつくられなくなったと同時に、木でつくったアカクミも忘れ去られ、すでに、ほとんどは木の舟とともに朽ちてしまったり、燃やされたりしてしまったはずです。

次の骨董市で、その骨董屋さんに訊きました。
「あのアカクミ、まだ売れ残っている?」
「あるよ」
よかった。
「でも、別のケースに入れてあって、今日は持ってきてない。今度、持ってきてあげるよ」
次の骨董市、私はいそいそと、またその骨董屋さんの店を訪ねました。
「あっ、ごめん。悪かった。持ってこようと別にしておいて、忘れちゃったよ」


そんなこんなで、アカクミはなかなか手に入りませんでしたが、その次の骨董市には、忘れずに持ってきてくれたので、二ヵ月ぶりくらいに、出逢えました。

「正直、これ市で二千五百円で買ったのよ。でも何度も足を運ばせたから、二千円でいいや」
「えぇっ、それじゃぁ損しちゃうじゃない」
「いいんだよ、五百円くらい。この前は十二万円で買ったものを一万円で売ったんだから。その損に比べりゃ、どうってことないよ」
「えぇぇっ、それはまた、どうして?」
「濱田庄司のお皿を買ったんだけど、ひびが入っていたのに気がつかなかったの。割れてりゃ、しょうがないでしょう」
これでは、骨董屋さんは損のしっぱなしですが、私としてはありがたい、いただいてきました。

『新編 漂着物辞典』より

『新編 漂着物辞典』(石井忠著、海鳥社、1999年)には、アカクミに関して、興味深い記述があります。
1973年に、玄海町の上八浜に漂着したアカクミは、一本の木を刳り抜いたものでした。
1976年に、古賀市花見浜に漂着したのは、杉板を組んでつくったもの、ちりとり形で、玄界灘沿岸の漁師さんたちが自分たちでつくって使っているものと、似たものでした。
今回、私が手に入れたアカクミは、そんな形のものです。

『新編 漂着物辞典』より

そして、1979年に、津屋崎町勝浦浜に漂着したのは、プラスティック製の浮きと木片を組み合わせてつくったものでした(たぶん、上の段の真ん中のもの)。

それまで、漁にはガラスの浮きが使われていましたが、プラスティック製の浮きに取って代わられようとしていた時代でした。
1970年代後半には、破損した韓国製のプラスティック浮きが、大量に玄界灘沿岸に打ち上げられました。プラスティックは、まだ粗悪だったので、破損率が高かったのです。
その、破損したプラスティックの浮きを漁師さんたちが拾って、木と組み合わせてアカクミに仕立てて使っていました。
やがて、1987年には、津屋崎町恋の浦でプラスティックの工場製品のアカクミが、1996年には津屋崎町白石浜ではステンレスの工場製品のアカクミが漂着していました。
ほとんどの漁具を漁師さんたちが手づくりする時代が終わって、何でも買う時代に突入していたのを石井忠さんは、アカクミを通して見ていらっしゃったのです。

糸満海人工房資料館より拝借

さて、沖縄には、琉球松の木を彫り出したユートゥイ(アカトゥイ)があります。底は船底に合わせて、湾曲させてあります。
沖縄では船上で食事をする際、このユートゥイを、食器としても使っていたのだそうです。
石井忠さんが、1973年に拾われたアカクミは、沖縄のユートゥイだったのでしょうか。


上の写真は、神奈川県川崎市立殿町小学校が所蔵する、アカケエ(アカクミ)です。大きいのはオオブネ用、小さいのはベカ用、ベカとは平底舟のことです。
今は大都会の川崎も、かつて漁師町だったことがあったのです。
そういえば、私が中学生の頃でさえ、浜松町駅の浜離宮の先には海が見えたし、東京から横浜に行くまでの電車の線路の、そう遠くないところに海がありました。

1960年代から70年代にかけて、地球上のたくさんの地域で人々は、それまでの生活や文化を失いました。日本でも、同じころ生活の多くのものは手づくりするという文化が、失われてしまったのでした。







2016年6月17日金曜日

つくばいのあたり


夫が、どこからか調達してきたこの花、アヤメではない、カキツバタでもない、ジャーマン・アイリスでもない。花菖蒲の一種でしょうか?


年を追うごとに花の数を増しています。


つくばいの対岸のトサミズキもうっとうしい。
いつもコテンパンに枝を切るのが原因で、ほとんど花が咲かないということを発見しましたが、だからと言って、生い茂るのをこのまま見過ごすわけにもいかないので、そろそろばさっと切りたいところです。


周りがうっとうしい中、つくばいの金魚たちは、これまたやたら大きく育っています。

しばらく前に、hiyocoさんが、金魚に名前をつけていることを知りました。考えてもなかった!
そして、タイやカンボジアでは牛や水牛には名前がついているのに、犬や猫には名前がついていないことを思い出しました。名前がないということは、軽んじているのです。
同時代を同じ場所で生きているのに、これはない、と一生懸命考えましたが、いい名前を思いつきません。
結局、「しろきん」、「あかきん」、「くろきん」という名前にしました。
能がないこと。






2016年6月16日木曜日

西洋月見草


西洋月見草。

もともとは母が運んできたものですが、他の月見草と同じで、毎年咲く場所を定めず、放浪します。
そのため、大切にもしていなかったら、雑草化していて、刈り払い機の届かない所だけで生き残っています。


バッタがいたので、取ろうとカメラを向けたとたん飛び去り、蟻だけが残っていました。








2016年6月15日水曜日

木の化石


オーストラリア在住のBlue moonさんから、サンタクロース・マトリョーシカとともに、クイーンズランドの珪化木をいただきました。


私の好みを、お見通しです。


それにしても重い、というか、木にしか見えなくて石の重さ、この木の生えていたころからの、気の遠くなるような年月を感じます。








2016年6月13日月曜日

ヒメイワダレソウ


他の場所をさておいても優先して、草むしりに精出したので、ヒメイワダレソウが、今年は繁茂しています。


踏み石の上に伸びてきたのは、容赦なく切れるほど、対応にも慣れてきました。昨年は大切にするあまり、切れなくて、踏み石が隠れてしまったりしていました。


でも、油断は禁物。カタバミ、メヒシバ、スギナなどが、隙あらば顔を出したいと、虎視眈々と狙っています。