2012年5月4日金曜日

紫金草


ご近所に紫金草が咲いています。
 
1931年(昭和6年)に、「満州国」を建国して中国支配をはじめた日本は、1937年(昭和12年)の盧溝橋事件を皮切に、中国への全面戦争を開始し、当時の首都「南京」を制圧しました。南京では人々の虐殺が行われ、街は廃墟と化しました。

日本軍の衛生材料廠の廠長で、薬学者であった山口誠太郎さん(故人)は、日本へ帰る時、南京大虐殺の行われた紫金山の麓一面に見事に咲いていた「紫の菜の花」の種を取り、密かに日本に持ち帰りました。そして、戦争で命を奪われた人々への鎮魂と平和を願ってこの花を「紫金草」と名づけ、自宅の庭で種を増やし、家族や協力者とともに、汽車の車窓から種を蒔くなどして、この花を日本中に拡げてこられました。
1985年に、つくばで筑波科学万国博覧会が催されたときには 100万袋の紫金草の種が配布されたということです。


今ではこの花は「むらさき花だいこん」などの名で呼ばれ、全国で見られるようになりました。

昨年、南京から招かれた女性のアコーデオンと紫金草合唱団の歌を聴きに行ったおり、山口誠太郎さんの息子さんからお話をうかがうまで、この花にそんな歴史が隠されていたとは、知りませんでした。

中国では、「アー・ユエ・ラン」と呼ばれているそうです


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