2012年7月31日火曜日
ちょっと遅れましたが
お隣からいただいたブルーベリーの木が、6種類ほどあります。
今年は残念ながら、季節がくるとまず最初に熟す木に実が一つもつかず、遅れて熟す木の実がやっと熟れはじめました。
やれやれ。
幸い、野鳥には見つかっていません。
たくさん摘めました。
今日はどちらを向いても、低いところに雲がかかっています。
2012年7月30日月曜日
2012年7月29日日曜日
種のモビールの夏
暑い休日の午後は、やかましい蝉の声を子守唄に昼寝です。
目を覚ますと天井に、以前つくった種のモビールが、絶え間なく動いています。
どれもがすれ違いますが、たまにぶつかる部分が、末端に一ヶ所だけあります。
ぶつかると、しばらくくっついたまま動くこともありますが、ぶつかったとたんに、たいてい跳ね返ります。
そして反対側に回りはじめたものが、あるとき一瞬静止して、また反対側に動きます。
考えたこともありませんでしたが、たぶんつくってからこのかた、一度も同じ形になることなく、動き続けているのでしょう。
不思議、不思議。
ガラス戸を開けているとはいえ、それにしてもよく動きます。
大きな莢に入った種は、はずれると重さが変わるので、いつか接着剤でくっつける覚悟でしたが、いまだにしっかりくっついています。
2012年7月26日木曜日
雉の母子
田んぼの草を取って帰ってきたら、坂道の取りつきあたり、コンクリート舗装した道に雉の親子がいました。母雉と、うずらほどの大きさの子雉が三羽いて、母雉はしんがりを歩いています。
このあたり、カラスも猫もうろうろしているというのに、無防備なことです。
軽トラックをゆっくり進めると、進行方向に逃げるばかり、しかも、一羽の子雉が道の反対側に行ったので、母雉は気が気ではありません。焦っている様子がよくわかります。
坂道の両側に草や木を植えているのに、子雉はどうやら逃げ方を知らないようでした。
ついに母雉が、子雉を置いたままで草むらに飛び込みました。
それがよいお手本になり、みんな思い思いに飛び込みました。
ひと安心でした。
田んぼに行ったので、カメラを持ってなくて残念でした。
2012年7月25日水曜日
亀のお腹
これは、どちらかと言えばもう一つのブログの方がふさわしいでしょうか?
やっぱりこちらかなぁ。
鋳物の小さな亀、インド人の友人のお土産です。
お腹には、1から9までの数字が書いてあります。
見たら、縦、横、斜め、どれを足しても同じ数になる、くらいはわかりました。
マスをつくって、誰かに、
「 縦、横、斜め、どれを足しても同じ数になるように、数字を入れなさい」
という問題を出したら、難しいのでしょうか?あるいは、簡単なのでしょうか?
母や妹は数字のクイズが好きですが、私は苦手です。というか、楽しんで数字と遊ぶつもりは毛頭ありません。
学校で二桁の九九まで覚えるというインドですから、これは最も初歩の数字合わせで、もしかしたら、もっともっと複雑な数字をお腹にもった亀がいるのかもしれません。
2012年7月24日火曜日
ソムタム
近所に住んでいる、元同僚のSくんのつくったインゲンとトマトです。
出荷した残りをいただきました。
ソムタム・トゥアは、もともと三尺ササゲでつくるもの。インゲンではつくったことがないけれど、つくれるでしょうか?
試しにインゲンを生でかじってみると、ちょっと青臭いけれど食べられます。
ニンニク、干しエビ、唐辛子(プリックキーヌー)をクロックで叩いて、砂糖、ナムプラー、レモン汁で味つけし、ぶつぶつ千切った生のインゲンを入れてさらに叩き、味をなじませます。
さらに二つに切ったミニトマトも入れて叩き、お皿に盛って、上からピーナッツを砕いたものを振りかけて、ソムタム・トゥアのできあがりです。
青いパパヤのソムタムは、タイ料理店の定番ですが、豆のソムタムは、料理店では食べられない家庭料理です。
「ちょっと硬かったなぁ」
とSくん。
いえいえおいしゅうございました。
2012年7月22日日曜日
2012年7月21日土曜日
殻つきアーモンド
ウズベキスタンから一時帰国している、Hさんの一家が遊びに来て、お土産にドライフルーツの詰め合わせをくれました。
アンズ、黒と緑の干しブドウ二種類、クルミ、ピスタチオ、糖衣のピーナッツ(アーモンド?)、そして殻つきのアーモンドです。
ウズベキスタンは、砂漠が多く、Hさん一家が暮らしている首都タシュケントも、歴史的なオアシス都市だそうです。
公用語はウズベキ語ですが、ロシア語が多く話されているとか、このドライフルーツのラベルも、ウズベキ語ではなく、ロシア文字(キリル文字)でタシュケントと書かれています。
ウズベキスタンは乾燥していて果物の宝庫。
桑やさくらんぼは、売ってもいるけれど、熟れて道端にばらばらと落ちているとか、中でも多いのはアンズで、どこにでもあるそうです。
殻に入ったアーモンドは、パレスチナのを見て以来、すっごい久しぶりでした。
でも、パレスチナのアーモンドの方がもっと丸っこくてもっと大きかった気がします。
取り出してみると、
「あれっ」
アーモンドは左右対称形ではありませんでした。
そして、糖衣をかぶされているのも、アーモンドでした。
2012年7月20日金曜日
2012年7月19日木曜日
ツバメさん、来て!
早朝の田んぼには、ツバメが飛び交っています。
稲すれすれに、低く飛んでいます。
「あれっ。ツバメは一羽も写っていない!」
飛ぶのが速過ぎます。
とまっている鳥なら、なんとか写せるのですが。
ツバメが家に巣をつくったら楽しいなあと思いますが、やってきません。
ツバメにとっては、我が家は田んぼからちょっと離れているでしょうか?
その代り、巣をつくって欲しくないものが巣をつくっています。
でもよく見ると、
どれも建設途中でやめたみたいです。
あぁ、よかった。
あれっ。あなたは新顔?それとも上部が見えないけれどアシナガバチの巣?
これも巣づくりをあきらめた巣でしょうか?
2012年7月18日水曜日
2012年7月17日火曜日
ニッパヤシ
本棚を見ているとき、ふと一冊のファイルが目につきました。
「なんだったんだろう」
開いてみると、1997年に、休暇を利用して訪ねた、タイ南部、トラン県の訪問記でした。
遠浅の海草原のある地域、マングローブの生えている地域、少し川を遡ってニッパヤシの生えている地域に住む人々の暮らしなどを、タイの友人の主宰するNGOを通して垣間見させていただいた、貴重な旅でした。小さな舟に乗せていただいて、近くの島にも行きましたし、もう少し内陸のサゴヤシの村にも行きました。
いずれも地域の自然を生かしながら、築き上げた生活が印象的でしたが、その中で、日本の海岸にも流れ着くニッパヤシのある生活を、ご紹介したいと思います。
トラン川流域には、100年以上ニッパヤシと共に暮らし、ニッパヤシの加工で生計を立ててきた村がいくつか点在しています。その一つ、ヤンスー村を訪ねました。
川の向こう岸のニッパヤシの中に、ヤンスー村があります。
こちら岸から、
「おーい」
と呼ぶと、小舟が迎えに来てくれました。
ニッパヤシ(Nypa fruticans Wurmb) は、インド、マレー半島、豪州、フィリピン、太平洋諸島の泥湿地帯などに生育し、マングローブの一種に数えられています。
トラン川流域の村の、ニッパヤシと共にある暮らしは、まだ葉を出さない若い芽から、刻み煙草のための巻き紙(巻き葉)をつくり、葉は屋根材や壁材にし、葉柄は建材にし、葉軸で籠を編み、まだわかれていない若い葉で水汲み容器をつくり、果肉は食し、花梗からは樹液を採って、砂糖をつくる、といったようなものでした。
おもな収入源はたばこの巻紙つくりですが、屋根材、砂糖なども市場に出していました。
当時、トラン川の河口から、県庁所在地のトランまで、物資の運搬や観光を目的とした、浚渫と護岸工事の計画がありました。もしその計画が実行されると、人々の暮らしは成り立たなくなりますし、ニッパヤシを切ってしまうと、土壌が侵食され、水は酸素不足になって汚濁し、たくさんの水中生物が棲めなくなります。
さて、ヤンスー村の煙草の巻き紙つくりです。
まだ葉の出ていないニッパヤシの若い芽を切り取り、一定の長さに切って、若い葉を取り出し、
乾燥させます。
乾燥したものをしごいて、若い葉を整え、
さらに乾燥させます。
よく乾燥したものを、一定の長さに切りそろえ、ビニール袋に詰めると、刻み煙草用の巻き紙の完成です。この一定の長さに切る道具が素敵です。
当時、生産者価格は一束2バーツ、店頭価格は4.5バーツでした。
近年、タバコが有害とされているのは、栽培時に使われる農薬や、加工時に使われる化学物質が、煙になったとき6000種類以上の有害物質に化学変化するからだと言われています。また、紙巻きタバコの紙にも、燃えると有害な、塩素などが含まれています。
それに比べると、自家栽培した煙草の葉を刻んで、ニッパヤシの葉で巻いたタバコは、比べものにならないほどヘルシーです。
ニッパヤシの実です。
果肉はココヤシと似た味で、ほのかに甘く、おやつになります。
屋根材をつくるには、同じ長さに揃えたニッパヤシの葉を、葉柄を割いたものを芯にして二つ折りにし、細く裂いた葉で縫いつけます。一枚の長さ(幅)は、120センチです。
当時屋根材は、一枚5バーツでした。
泊めていただいた、別の漁村の家ですが、屋根も壁もニッパヤシで葺いてあります。高床になっていて、風通しも良く、快適でした。
屋根を葺くときは、下から順番に葺いていきますと、雨も漏りません。3年くらいもちます。
そして、ニッパヤシの葉軸で編んだ籠です。
私が訪問したのは5月だったので、残念ながら、12月から2月にかけてつくるという、砂糖づくりは、見ることができませんでした。
最後に、ご飯を。
漁師さんたちは、市場に出せない、網に引っ掛かって爪のとれた蟹やエビ、形のそろわないイカや魚など、海の幸をふんだんに使って、毎食とってもおいしいごはんを食べていました。
ニッパヤシを生業としている人たちも、蟹やエビはたくさんとれていました。タイ東北部の普段食と比べても、私の普段食と比べても、すごい大ご馳走でした。