2014年3月31日月曜日
庭で摘みたくない!
今日は缶ゴミを出す日なので、ゴミ置き場に行って驚きました。
一面つくし畑になっています。
そのあたりにはもともと、スギナもつくしもありませんでした。
ところが、買った植木についてきたのかスギナが生えはじめ、年ごとに面積を広げてきました。
スギナほど厄介な草はありません。抜こうとするとプツンと切れ、それでは根絶やしにしようと掘って丁寧に根を取り除くと、かえって勢いを増します。
スギナだけでなく、つくしが出はじめたのは昨年あたりからです。
しかも、通路になっているあたりには生えず、石を積んで、草が生えないで欲しいと思っているところにと大移動してきました。
我が家で、つくし摘みなどしたくないものです。
それでも最初はつくしを摘んでいる気分でしたが、だんだん、ただの雑草を抜いている気分になってきました。というのも、残しても仕方ないので、もう盛りを過ぎているのまで、全部摘んだからです。
はかまを取ってこのくらいありました。
ゴミは同じほどありました。
下茹でしましたが、いつもの卵とじではなく、Pikuさんの定番を真似して、ごま油で炒めてみるつもりです。
2014年3月30日日曜日
やれやれ
あれっ、哀れや、草むしりをしていたら、カブトムシの幼虫が死んでいるのを発見しました。
ふかふかと楽しい生活をしていたところから、遠く離れた場所です。
「このあたりにも幼虫がいたのかしら?」
とその時は思ったのですが、あとから思い出しました。
夫が、屋根から落ちた雪でだめになったサツキを植え替えていましたが、そのとき落ち葉も運んでいたので、一緒に運ばれてきたのでしょう。夫はカブトムシがたくさんいた場所の落ち葉は除けて掘っていましたが、他のところにも幼虫がいたのです。
カブトムシの幼虫の敵はモグラだけではなく、積んだ堆肥を使いたい人間も大きな敵でした。
最近読んだ『近代の呪い』(渡辺京二著、平凡社新書、2013年)は、期待したほどではなかったのですが、いろいろ面白いところがありました。
キリスト教的な精神-物質二元論、すなわち人間中心主義が近代ヒューマニズムを生んだのですから、その考えは馬鹿にできないところがあるけれど、それが一種異様な考えであるというくだりがあります。
幕末に、横浜あたりで西洋人の宣教師から聖書を読まされた侍が、「おう、おう、人間が草や木より尊いものであろうとは」と感嘆したというエピソードです。
2014年3月29日土曜日
2014年3月28日金曜日
そろそろ大きくなろうかな!
冬の間中、杭を打って、歩かないようにしていた一角があります。
これだけじゃあ、なんだかさっぱりわかりません。
「そろそろかな?」
カラスノエンドウ、ハコベ、ホトケノザ、オオイヌノフグリなどを抜きます。
今年もまた、冬を越したのや、越さないで暖かくなってから生えたコリアンダー(パクチー)が育ってきています。
2014年3月27日木曜日
2014年3月26日水曜日
ようちゅうえん?ようちえん?
野菜の種をまくので、積んであった落ち葉の下の方の、堆肥になりかかっているものを畑に運ぼうと、落ち葉の布団を持ち上げてみました。
いやはや、そこはカブトムシの幼虫のたまり場になっていました。
見えているだけで七匹、これではとてもそこは掘れません。
「さっさとお布団を掛けてよ」
と幼虫に催促され、慌てて持ち上げていた落ち葉の塊を元通りにしました。
すぐそばでは、猫のトラがのんきに寝ています。
トラの目と鼻の先にあるカブトムシの布団は、幸いトラにはまったく気づかれませんでした。
いやはや、そこはカブトムシの幼虫のたまり場になっていました。
見えているだけで七匹、これではとてもそこは掘れません。
「さっさとお布団を掛けてよ」
と幼虫に催促され、慌てて持ち上げていた落ち葉の塊を元通りにしました。
すぐそばでは、猫のトラがのんきに寝ています。
トラの目と鼻の先にあるカブトムシの布団は、幸いトラにはまったく気づかれませんでした。
2014年3月25日火曜日
2014年3月24日月曜日
2014年3月23日日曜日
2014年3月21日金曜日
産むつもりだった!
「農業研修したい」
姪の娘みおちゃんが、Uさんの家に、一週間だけですがお世話になっています。
いい機会だからと夕食に来ていただいたら、こんなにいろいろいただいてしまいました。
「この小松菜、すっごく美味しいの。ベビーリーフも小松菜も私が摘んだのよ」
と、みおちゃん。
Uさんの家は養鶏半分、野菜栽培半分の有機農家です。
卵をとる鶏を絞めたのも一羽いただいたのですが、昨日バタバタと解体して(いただいて)、タイカレーにして食べてしまって、写真は残っていません。
Uさんは、みおちゃんに、
「さばいてから持って行こうか?」
と聞いたらしいのですが、
「だいじょうぶじゃないですか」
とそのまま持って来てくれたのですが、私はもう羽もむしってきれいになっているというのに、Uさんに解体をお願いしてしまいました。
これまで、自分で鶏を絞めたらいい状況に何度もいたことがあります。それにもかかわらず、市場でさばいてもらったり、誰かがさばくのを見ていたりと、避けて通って来た道でした。
一番感動したのは、大きな卵(左)が出てきたことです。
普通の大きさの卵と比べて大きいので、もう年とっている鶏だったとはいえ、次の朝も卵を産むつもりだった日常が突然断たれて、産むことができなかった卵です。
その次の日の卵、次の次の日の卵、次の次の次の日の卵、小さいものも入れると、二週間分くらい用意されていました。
命をいただいて生かされていると、久しぶりに思い起こされた鶏さんでした。
これからおいしいモツ煮込みをつくって、いただきます。
2014年3月20日木曜日
2014年3月19日水曜日
古代な夕べ
Kさんの家に、初めてうかがいました。
すごい!こんな土器が置いてありました。
「ここから出たんですか?」
一度も畑になったことのない土地から出てくる土器は、畑だった我が家から出てきたのと違って、大きな破片です。
「それがね、増築しようとしたら窯跡まで出てきちゃった。でも、調査するなんてことになったら面倒だから、知らんぷりして建てちゃいましたがね」
Kさんの家は山を少しだけ登ったところにあります。山と言っても八郷のなだらかな山で、20度ほどの傾斜です。
こんなに力強い土器を見ると、古代人を間近に感じます。
これもきれい。
几帳面な人が模様をつけたのでしょう。
どちらも、幅が12センチ以上の破片です。
ところで、おいしく煮た叩きごぼうをいただきました。
歯ごたえがよく、しゃきしゃきしているのに柔らかいおいしいごぼうでした。
「おいしい!」
「ひたすらこれで叩くのよ」
と見せていただいたのは、
立派なリンガです。
「どうしたんですかこれ?」
「道をつくるとき出てきたのをもらったの」
これも古代人がつくったものでした。
リンガで叩きごぼうなんて、八郷ならではの古代な夕べでした。