2009年11月30日月曜日
2009年11月28日土曜日
また、メコンの石
箱が大好きです。木の箱、竹で編んだ箱、ブリキの箱、なんでも好きです。
模様のあるブリキの箱は、黄色いのは染料が、赤いものはアクセサリーが入っていたようです。どちらもタイ語と中国語が併記してありますが、タイでつくられたものです。
タイでは、政策としてタイ語学校しか認めてない時代があったことで、現在は100%中国系の人も、ほぼ中国語は読み書きできません。というわけで、併記してあるということは、わりと古い箱なのだと思います。
どこで買ったのか、一つはラオスのマーケットでしたが、もう一つは覚えていません。
手前の胴の箱はカンボジアのものです。カンボジアには、大小、素材もいろいろですが、オーバルな形の箱が、割合たくさんあるような気がします。
左は、木をくりぬいた箱。これらの箱の共通点は、
全部、メコン川の石が入っていることです。
2009年11月26日木曜日
2009年11月24日火曜日
どんぐり
どんぐりは、小さい頃から、最も親しみ深い種でした。
ところが、がっかりすることに、たいせつにとって置いて、しばらくして見ると、虫に食われてぼろぼろになっていたり、皮が割れてしまっていたりと、なかなか原型をとどめてくれず、泣く泣く捨ててしまったものでした。
しかし、このどんぐりたち、ちょっと黒くなっているのもありますが、10年も20年も経つのに、珍しく、しっかりと原形をとどめているどんぐりたちです。
ずいぶん前のことですから、記憶は定かではないのですが、たぶん南アフリカのヨハネスブルグで、街路樹の下に落ちていたものを拾ったのだと思います。
右はクヌギのどんぐりですが、比べてみると、丸いどんぐりはそれよりずっと大きいのがわかります。クヌギのどんぐりは、庭から拾ってきて見ましたが、全部虫に食われているので、たぶん、すぐに崩れてしまうでしょう。
細長いどんぐりも、コナラのどんぐり(右)を拾ってきて比較してみましたが、ずっと大きいのがわかります。
ヨハネスブルグの街路樹は、日本の街路樹のようにこてんぱんに刈り込んでなくて、そのまま伸ばし、大木で、とてもすてきでした。
2009年11月21日土曜日
南インドの小石
南インドの、タミル・ナドウ州のマドラスから、バスで4時間ほど南下したところに、ポンディチェリという町があります。その、ポンディチェリの近くの村に一週間ほど滞在したことがありました。
村の道を歩きますと、ゆるい起伏のあるところをならして平らな道をつくったのでしょうか、道の片側や両側がちょっと削ってあって、背丈より低いくらいなのですが、いわゆる切り通しになったところが何ヶ所かありました。
その、土の断層が見えているところに、小石が入っている層がありました。20センチから30センチほどの厚みの層で、水玉模様のリボンのよう、斜めに走っていました。
小石はぽろっととれました。赤みがかっていて、丸くて、すべすべしていて、半透明なものもありました。私は朝に夕に、道を歩くたびに、一つ二つと小石を拾っては、ポケットに入れていました。
石のことはよくわかりませんが、石そのものにも「層」のような模様が見えるので、堆積岩なのでしょうか。
色といい、形といい、私の持っている石の中で、もっともきれいな石のひとつです。
2009年11月19日木曜日
初冬の味覚
拾いものではありません。貰いものです。
散歩の帰りに、竹さんに会いました。「菊を食べるか?」、と呼び止められていただいたのは、いつも食べている小菊ではなくて、大輪の菊の花びらでした。
「へえー。こんなのも食べられるんだ?」、「んだ。もらったんだ」。竹さんはたくさんの菊の花びらから4分の1ほど取り分けると、袋に入れてくれました。
それにしても、花びらの量たるや、半端なものではありませんでした。いつも、竹さんはいろいろな人からいろいろなものをもらっていますが、孫息子と二人暮らしだというのに、どれも食べきれないような量です。たぶん、あげる人も、竹さんが誰かにおすそ分けするのを見越しているのかもしれません。
というわけで、私もしばしばそのおすそ分けにあずかっているのです。
菊の花びらは、さっそく茹でて小分けにし、一つ残して冷凍しました。食べるときに解凍して、ポン酢や梅酢をかければいいのです。
なめこもいただきました。竹さんは大きな声で、「盗んできたんだ」と言っていますが、誰かに「採って行け」と言われて、貰ってきたものでしょう。これは今夜、タジン鍋で蒸して食べましょう。
数日前に、千代さんにいただいたゆず。今年、我が家ではどうしたことかゆずが一つもなりませんでしたが、千代さんの家では大豊作でした。
「勝手に、もいでっとくれ」、と言われているのですが、いただいたのを使うこともできないまま数日過ぎてしまい、早、葉っぱがしなびています。
で、今日は一念発起、寒いので外仕事はやめて、ゆずジャムを煮ました。家中にゆずの香りが満ちて、幸せなひとときでした。
できあがったジャムを千代さんに届けたら、「お天気がよくなったら、ゆずを採って行っておくれ」と、また言われました。
こんどは、大好きなピールでも」つくろうかと思います。
2009年11月17日火曜日
タカサゴユリ
昨年、友人からタカサゴユリの苗をいただきました。小さくて心もとない細さでしたが、なんとか育ち、今年二輪だけ咲きました。一輪は摘みましたが、残しておいた一輪が実を結び、莢を開きました。中には種がぎっしり詰まっていました。
小さい頃、祖母が鉄砲ユリが好きでしたが、私はユリにはたいした関心も持たず、これまで過ごしてきました。昨今、カサブランカなど華やかなユリが流行していて、鉄砲ユリはちょっと古臭い感じですが、タカサゴユリはどんな感じの花なのか、まったく見当もつきませんでした。
しかし、苗をくれた友人が「タカサゴユリ、タカサゴユリ」と熱く語っていたので、期待を込めて成長を見てきました。
夏、茎が伸びてつぼみがついたとき、我が家の近くでも、わりとたくさんの家でタカサゴユリを育てているのを発見しました。これまでは、目にも留まっていませんでしたが。
タカサゴユリはしかも、たいていは生垣の間とか、砂利を敷いた硬そうな土地とか、あまりふかふかしていなさそうなところに生えています。とはいえ、やはり肥えた土壌のところでは大きくなるようで、我が家のものとは比べものにならない大きな花を、しかも一茎に数輪一緒につけているのも見ました。我が家のものは背も低く、小さな花を一つずつ咲かせました。
タカサゴユリはどちらかと言うと、鉄砲ユリに似ていました。しかし、もう少し線が細くて、造花っぽいところがなくて、可憐でしょうか。来年はもっと生えるように、あちこちに種を蒔きました。
2009年11月16日月曜日
機織鳥(はたおりどり)の巣
タイでは、木の上に、機織鳥の巣をよく見かけます。いろいろな木にぽつんぽつんとある場合もあるのかもしれませんが、一本の木にたくさんの巣がぶら下がっているのを目にすることが、多かったような気がします。
タイ人は機織鳥の巣が好きなのか、訪ねた農家に飾ってあるのを、よく見かけました。
この巣は、自分で拾ったものではありません。私が羨ましそうにしていたので、友人がくれたものです。「また取るから、持って行っていいよ」と言われて、大喜びでもらって来たものです。
右の巣が求愛用の巣です。止まり木にドームがついたような形をしています。雄はこのような形の巣をつくって、雌を待つのです。そして、めでたくカップルになりますと、巣を増築して、左のような子育て用巣に改造します。写真ではよく見えませんが、巣の右側の真ん中あたりに出入り口があり、下に、おそらくは糞を落とすと思われる穴が開いています。
左の巣も、元は右の巣のような形をしていたのだと考えると、右の求愛用の巣がとっても大きくて豪華なことがわかります。しかし、この巣をつくった雄は、子育て用に改造するような相手に恵まれなかったと思われます。
雌は豪邸というだけで目がくらんでしまうのではないのですね。ちゃんと人柄(鳥柄)も見るのでしょう。
草や藁で丁寧に編まれていて、その技術の高さに脱帽です。
2009年11月14日土曜日
フジの実
藤の花を見るのが好きでした。庭に咲いているものより、車窓から山の木々にからまって咲いていたりすると、うっとり見惚れたりしていました。
ところが、農村に住みたいと思い、気に入った土地(長く放置され、荒れていた畑地)にめぐり合い、クズ、セイタカアワダチソウ、篠竹などをやっと刈り取ってみたら、そのまわりの雑木林や、もと畑だった土地の、木という木に、蔓が巻きついているのに気づきました。
夏場は、敷地内の草刈りだけでも大変なのに、ちょっと油断すると、その荒れた雑木林や畑から、せっかくきれいにした我が家に蔓が伸びてきます。
まわりに生えている、山桜、クヌギ、コナラ、ムラサキシキブなど、すべての木は蔓に巻きつかれていますが、蔓に厚く覆われていて、盛り上がってはいるけれど、木かなにかもわからないものもあり、見た目もうっとうしくて、汚らしい感じでした。
そこで、それぞれの地主さんの了解を得て、数年かかって、背よりも高く伸びている篠竹を刈り、木々を被っている蔓を払っています。私は「山仕事」と称していますが、重労働ですが、やりはじめるとけっこう夢中になってしまいます。
主な蔓は、フジ、アケビ、クズなど、それまで好きだったものばかり。でも思い切って、目につくものは全部切りました。
すると、瀕死のクヌギ、コナラ、山桜などが生き返り、ミズキ、センダン、畑からは、柿、梅などが姿を現しました。
それでも残っているフジもあります。我が家の入り口あたりに、切り忘れたフジがあり、季節になると藤色の花びらを落とし、しばらくすると、平べったい種を落とします。
高いコナラに巻きついたもので、高過ぎて花そのものは見えないし、昨年、とうとうそのフジも切ってしまいました。直径が、15センチほどあったでしょうか。太いのでフジの木とは思わず、切り残していたものでした。
それでも、春になるといたるところにフジが咲きます。フジとかクズとかは、マメ科の植物ですから、地中に窒素を固定するだけではなく、蔓で被って人を寄せつけにくくして、せっせと土壌を豊かにしていたのでしょう。恐るべし、自然の力です。
山や放置された田畑には、どこでも草や潅木が生い茂っています。古老の話では、その昔はみんなで下草を刈るし、落ち葉もさらうので、今は篠竹だらけの山も裸足で歩けるほどきれいだったそうです。
でも、日本の山から松が消えたのは、化石燃料が使われるようになったり、家畜の餌にされなくなったりして山がきれいにされなくなり、土壌が豊かになったからという説もあります。荒地でないと松は育たないのだそうです。
我が家も、野性味が年々そこなわれて、暖かい「人の住処感」が増していますが、これも他の生物たちともせめぎ合いに、いまのところ私たちが太刀打ちできているということに他なりません。
2009年11月12日木曜日
2009年11月11日水曜日
再びマカーモン
2009年8月1日のマカーモンの種、私の思い違いでした。訂正したいのだけれど、写真の入れ替えができない。これがマカーモン(Afzelia xylocarpa)の莢と種です。
で、前の種は、Sindora siamensisでした。とってもトゲトゲの莢に入っています。Sindora siamensisの莢はまだ段ボール箱にはいったままでしょうか。見つかっていません。
マカーモンの種は、とてもきれいに、互い違いに並んでいましたが、度重なる引越しや年月を経たために、ほとんど莢からはずれてしまいました。
先日、骨董市で、ルドラクーシャ(ジュズボダイジュ)Elaeocarpus gantrus (ホルトノキ科)などと並んで、この実の数珠も売っていたので、びっくりました。世界は小さくなったものです。
そしてネットで、日本語で緬賀菩提樹という和名がつけられていることも知りました。