2009年12月31日木曜日
さようなら 2009年
2009年は、7年かかって、夫と二人でつくってきた家に入居できたということで、とてもいい年でした。また、長男が小説家としてデビューしたこと、次男に子どもが生まれたことも、大きな出来事でした。
しかし、最愛の犬を事故で失ったことでは、とても辛い年でした。
その2009年も終わりになりました。
2010年は、工作室兼納屋を建てはじめる年になることでしょう。
どうか、平穏でよい年でありますよう。
一番右の石は滝で拾ったもの、そのほかは、いろいろなところ(例えば材木屋さんの庭先など)で拾いました。
来年は寅年。
我が家のトラは、後が広く開いているのに、長椅子の上で寸詰まっています。
そして、犬たちは、陽のあたるところで、ぬくぬくしています。
2009年12月28日月曜日
ヘチマの野生種
野生の稲、野生のスイカ、野生の瓜、野生のナス、野生のモロヘイヤ、野生のアマランサス、野生のこんにゃく、野生のゴボウなどなど、栽培されている作物の野生種を見るのは楽しいことです。
栽培種と同じく食べられるものもあれば、食べられないものもあります。
この瓜を道端で見つけたとき、なんだかわかりませんでした。でも、形がかわいいので、とりあえず採集して、乾燥させ、たいせつに飾っていました。ところが、引越しのために箱に詰めたり出したりしているあいだに、皮の一部が破れてしまいました。よくあることです。
そして、破れたところからのぞいているのは、スポンジ状のものです。ヘチマの野生種だったようです。
採集した場所は、たぶんタイでしょう。
野生のヘチマが食べられたり、使われたりしているのは、これまで見たことはありません。
2009年12月25日金曜日
センダン
センダンの実が目立つ季節になりました。
たぶん、とても不味いんでしょう。他の実があるときは、まったく見向きもしなかった鳥たちが、やっとこのごろ、センダンの実を、ついばむようになってきました。
実は、どの木にも、まだたわわになっています。
犬と散歩していると、センダンの木から遠く離れた道などに、センダンの種がポツポツと、ころがっています。糞らしきものは見えなくて、種だけが落ちています。
鳥たちは、実をくわえて、遠くまで運んで、柔らかいところだけ食べたのでしょうか?。それとも糞はさらさらと風に飛ばされてしまったのでしょうか?
小さいころ、ピラカンサの実を柿に見立ててままごとをしましたが、センダンの種はスターフルーツ(ゴレンシ(五稜子、Averrhoa carambola)の実にそっくりです。
2009年12月23日水曜日
不思議な実
片づけをしていて判明です。
ばらばらの実と、
これは何?の正体が。
これだったのです。すっごく残念! とっても好きな実だったのに、箱詰めしたり、運んだり、積み上げたり、放置したりしているあいだに、はじけちゃったのですね。
この実、名前はわかりません。いつだったか、どこの国だったか、お寺の前で売っていたものを一つ買いました。 ルドラークシャ(数珠菩提樹の実)などといっしょに売っていたものです。
その後、あるさびれたお寺だったか、遺跡を訪れたとき、ふと扉もなにもない窓(というか開口部)から外を見たら、右手の壁近くに一本の低い木が立っていて、この実がなっていたのです。たぶん、タイだったと思います。
さっそく外に出て、実をいただいたのですが、今、我が家にまったく残ってないところをみると、時期が過ぎて実が朽ちかけていたり、かびていたり、虫食っていたりで、きれいな実がほとんどなかったものと思われます。
木の様子、窓の様子などは目に浮かぶのですが、逆に言ったことのある遺跡やお寺を思い出してみても、どことも結びつきそうにありません。
なにか、見れば見るほど不思議な実です。裏返して覗いてみたら、「これはなに?」とそっくりでした。
よく調べてからUPするべきでした。それが何もかも、ごちゃごちゃになっているもので...。
2009年12月19日土曜日
ジャカランダ
2009年12月17日木曜日
2009年12月15日火曜日
2009年12月13日日曜日
2009年12月11日金曜日
スオウ
スオウ(Caesalpinia sappan L、蘇芳、蘇木)は、古代のとてもたいせつな染料でした。
赤色染料として、中国にはすでに三世紀の『南方草木状』に記されていますが、日本では、『延喜式(927年)』に「蘇芳染」と記されているのが最初です。平安時代の『衣服令』では、蘇芳は紫よりは下位でしたが、緋や紅よりは上位に置かれていました。
『歴代宝案』という、琉球と東南アジアの関係を示す資料がありますが、それに寄れば、1425年から1570年までの145年間に、琉球からタイに派遣された貿易船は58隻(東南アジア全体では150隻)で、その最大の輸入品目は蘇芳だったそうです。
そのころ、琉球は貿易国でしたから、再輸出品として蘇芳を中国に運んでいましたが、日本本土にもかなり運んでいたようでした。
蘇芳は、木の枝ですからすごく嵩張りますが、記録によりますと、琉球船はそんな蘇芳を一度に15トンも積んだというのですから、帆船の製造技術も、操縦技術も、本当に高いものがあったのだと思われます(『日・タイ交流六〇〇年史』)。
その後、御朱印船貿易でも、蘇芳は重要な輸入品目でした。
スオウは、タイではまったくありふれた、森の雑木です。
染物材料として輸出されていたころは、原価はただでも、山から切り出して、港まで運び出さなくてはなりませんから、川を利用したとしても、大変な作業だったに違いありません。
今、そんな歴史があったことなど知らぬげに、スオウはひっそりと他の木にまぎれて、森で生きています。しかし、ひとたび実がなると、とたんにスオウだとわかります。その莢の形のかわいいこと、まるで小さな角が生えているようです。
ちなみに、日本でスオウ(ハナスオウ)と呼ばれている、濃い桃色の花の咲く木は、染物に使った蘇芳とは、まったく関係ありません。どちらも、マメ科ではありますが。
2009年12月10日木曜日
2009年12月8日火曜日
2009年12月7日月曜日
ハリネズミの針
マレーシアのボルネオ島のサラワクの森で拾ったハリネズミの針です。
熱帯林の中は、高いところを樹冠が覆い、陽を遮っているので、低い木はまばらです。草も生えてなくて、とても歩きやすいのですが、それにしても丘あり、川あり、丸木橋ありで、なかなか前に進みません。
「疲れた。ちょっとだけ休ませて」と、崩れ落ちるようにして地面に座り込み、ふと見たら、目の前にこんな針が落ちていました。長さは18センチくらいです。
ハリネズミの針はときどき生え変わったりするのでしょうか?それとも、このハリネズミはここで命を落としたのでしょうか。
象牙でできたような、硬い針でした。
11年後に追記:
ハリネズミの針ではなくて、マレーヤマアラシの棘でした。
2009年12月6日日曜日
フタバガキ科の種
いつ見ても、フタバガキ科の種には和まされます。
左奥はDipterocarpus obtusifoliusで、手前はDipterocarpus turbinatusです。
で、右奥はちょっと定かではありませんが、Dipterocarpus tuberculatusではないかと思います。
D. turbinatusは、先から見るとこんな形、星型になっています。タイ東北部のような、乾燥林にたくさん見られる種類です。
D. tuberculatusも先から見ると、ちょっと角が出っ張って、五角形になっているのがわかります。
これはたぶん、南部の小さな島で拾ったものです。
そして、D. obtusifoliusは先から見ると、ただ丸くなっています。これは北部で拾ったものです。
2009年12月5日土曜日
2009年12月3日木曜日
また、パルメラヤシ
以前、パルメラヤシをアップしまし。紙やすりをかけて、細工物をつくろうとして、挫折したやつを。
それが右手のものです。左のものは、中身が腐って流れ出し、虫も喰っている、古いやつを拾ったものです。右の実は重いのですが、左の実は、からっぽなので、とても軽いです。
上から見るとこんな感じで、硬い殻から芽が出てくるための穴が開いています。
これが、1980年に、まだ半分鎖国していたビルマの市場で買った、パルメラヤシに漆を塗ってつくった小物入れです。
入れ物部分は、パルメラヤシを切って、そのまま漆を塗っています。蓋は木彫りで、つまみが小鳥の形をしています。私は、手に入れてしばらくは、「この象は小鳥によく似ているなあ」、と思っていたのですが、よく見たら、紛れもない小鳥でした。
実は、私もパルメラヤシを切ろうとしたことがありました。硬いのなんのって。これも途中であきらめてしまいました。根性なしでした。
模様は、線で彫ったところに色漆を刷り込んだのではないかと思われます。