2012年3月30日金曜日
2012年3月29日木曜日
バウヒニアづくし
ビニールハウスでできた仮設の倉庫の中で探しものをしていたら、 やばい、手紙などの書類が、劣化したプラスティックの引き出しごとだめになりそうになっていました。
「三年もなくても過ごせたものばかりだから、いらないかしら」
と思いましたが、全部捨てる勇気がなくて、探しものそっちのけでひっくり返してみました。
あるある、息子の絵、母の手紙。
湿気たり、陽に焼けたり、埃だらけになったものは捨てましたが、半分ほどはまた取っておくことにしました。
その中に、古いバウヒニア(和名ソシンカ)の葉っぱも入っていました。額縁をつくった残りの葉っぱをまとめてしまって、忘れていたものでした。
これは、ごくごく一般的な、ムラサキソシンカの葉です。
ムラサキソシンカは、花がきれいなので、街路樹によく使われます。
プノンペンの事務所の前の道にも植えてあった、懐かしい木です。
もっとも、私はいつも花より葉が好きでしたが。
同じような葉ですが、左は厚みがあり、右は薄いものです。
薄いのはちりちりしていて、今にも破れそうに、はかないものです。
左は葉先が尖っていますが、右は丸くなっています。
そしてスマートなもの。
バウヒニアは、タイでは道のわきなどに、ただの灌木としてよく生えていました。
私の持っている植物図鑑には、合わせて二十種類くらいしか載っていませんが、いったい何種類くらいあるのでしょう?
大きい葉は、Tomokiさんから教えていただいたばかりのBauhinia aureifoliaです。これは今回出てきたものではなく、二年前にタイ南部で拾ったものです。
小さい葉たちは、やはり道端の灌木の葉だったような気がします。
「三年もなくても過ごせたものばかりだから、いらないかしら」
と思いましたが、全部捨てる勇気がなくて、探しものそっちのけでひっくり返してみました。
あるある、息子の絵、母の手紙。
湿気たり、陽に焼けたり、埃だらけになったものは捨てましたが、半分ほどはまた取っておくことにしました。
その中に、古いバウヒニア(和名ソシンカ)の葉っぱも入っていました。額縁をつくった残りの葉っぱをまとめてしまって、忘れていたものでした。
これは、ごくごく一般的な、ムラサキソシンカの葉です。
ムラサキソシンカは、花がきれいなので、街路樹によく使われます。
プノンペンの事務所の前の道にも植えてあった、懐かしい木です。
もっとも、私はいつも花より葉が好きでしたが。
同じような葉ですが、左は厚みがあり、右は薄いものです。
薄いのはちりちりしていて、今にも破れそうに、はかないものです。
左は葉先が尖っていますが、右は丸くなっています。
そしてスマートなもの。
バウヒニアは、タイでは道のわきなどに、ただの灌木としてよく生えていました。
私の持っている植物図鑑には、合わせて二十種類くらいしか載っていませんが、いったい何種類くらいあるのでしょう?
大きい葉は、Tomokiさんから教えていただいたばかりのBauhinia aureifoliaです。これは今回出てきたものではなく、二年前にタイ南部で拾ったものです。
小さい葉たちは、やはり道端の灌木の葉だったような気がします。
2012年3月28日水曜日
インドボダイジュ
熱帯アジアでは見慣れた、インドボダイジュ(Ficus religiosa Linn.)の葉が、引き出しに潜んでいました。
インドボダイジュは野鳥の大好きな、小さなイチジクを実らせます。イチジクを食べた小鳥が糞をすると、よく陽があたり、ほかのものに邪魔されない樹上などで芽を出し、親木から栄養も貰い、やがて根をのばして地上までたどり着き、じょじょに親木を絞め殺していきます。
聖なる木ですから、抜かれたり切られたりすることなく、なすがままにされています。
1990年ごろには、カルカッタにはまだ植民地時代の古い建物がたくさん残っていて、そんな建物を見上げると、屋根の上や途中からもインドボダイジュが育っていましたが、その十年後には、カルカッタの街から、ずいぶん古い建物が消えていました。
古い建物を壊すとき、インドボダイジュも崩れて枯れていくのは、切り倒すわけではなくて、仕方がないことだと納得されるのだろうかと、きれいになった街を見ながら、思ったものでした。
カンボジアのアンコール遺跡群の中にも、絞め殺しの木(溶樹)のために、崩れ落ちそうになっているものがあります。
その、インドボダイジュの葉っぱを薬品処理するのか、葉脈だけにして、絵を描いたりしてお土産品として売られているのを、見かけることがあります。
これは、バングラデシュのものでした。
聖なる木は、葉脈も美しいものです。
光に透かせて見ると、インドボダイジュの生命力の強さが感じられます。
2012年3月27日火曜日
フウキソウ
フウキソウ(富貴草)は、中国原産とはいえ、日本の野山に自生しているそうです。
近所のSさんからいただきましたが、楚々としてなくて、和風な庭よりガーデニングの方に似合う感じが、なんとなくあまり好きになれず、適当につき合ってきました。
カバークロップ(被覆植物)として、びっしり地表を覆ってくれたらいいかなと思ったのですが、 そうしゃきしゃきと増えません。
というわけで、庭をいじるたびに、あっちへやったり、こっちへやったり。
そんな冷遇にも負けず、いま花を咲かせています。
葉っぱの蔭で人知れず咲くキチジョウソウ(吉祥草)の花より、よく目立ちます。
植える場所の条件にもよりますが、カバークロップの選定は難しいものです。
坂道のわきのキチジョウソウはなんとかいい感じに増えましたが、 シャガは全然増えませんでした。このあたりの家に、どうしてシャガを植えていないのか、不思議に思っていましたが、条件が合ってなかったのでしょう。でもどうして?
オカメザサは数年たっていい感じになりましたが、コクマザサはそうきれいではありません。
八重のドクダミは、昨年場所を移しましたが、うまく根づいたでしょうか?
篠竹は刈って、クマザサは保護する、八重のドクダミは保護して、一重のドクダミは根こそぎ抜く。
植物の方から見れば、
「何をしているのか、さっぱりわからない」
と言いたいところでしょう。
2012年3月26日月曜日
2012年3月25日日曜日
2012年3月24日土曜日
古箪笥
妹の連れ合いが、亡母上のものを整理していたら、押し入れの中で見つけた古いタンスはいらないかと電話くれたのは昨年のことでした。
お正月に準備してくれていたのに、かさばって持ってくることができず、昨日になってやっと引き取ってきました。
「あんな汚いものをもらってどうするの?」
と母。
「置くとこないだろう。何考えてんだ」
と夫。
「・・・・・」
人さまがくださるというものは、とりあえずいただいておくというのは、陶芸家のIさんから学んだことです。
邪魔になっているものをくださるのに、断ったら次がないし、いただけばお互いにハッピーというのが、Iさんの考え方。いらなければ貰ってから捨てればいいのです。
夫が賛成していないので声をかけず、今朝、車から家の中に一人で運びました。
二つに分かれるとはいえ、力は落ちたとはいえ、まだまだ怪力が出ます。
きれいに拭いて、底板が外れているところは、木釘というわけにはいきませんが、銅釘で修理しました。
扉や金具が失われたり、ネズミにかじられたり、木喰い虫に食べられたところは何ともならないので、そのままです。
二階の、客用のシーツなどを入れている衣装ケースを片づけて(BEFORE)、
シーツや、細々していたものを、箪笥の下半分に収めました(AFTER)。
すっきりしました。
上半分は、さすがに置くところが見つからず、どうしたものか思案中です。
引き出しの中から、高さ2センチほどの狸も見つかりました。
2012年3月22日木曜日
2012年3月21日水曜日
2012年3月19日月曜日
ハコベ
気持ちよく晴れ上がりましたが、冷たい北風が吹いていて、気温はあまりあがりません。
梅の開花はまだですが、春一番に生えるスイバ、ギシギシ、ナズナなどの雑草は、じわじわと大きくなっています。
生垣の下で緑色になっているのは、ハコベです。
放っておくと、どんどん丈を伸ばしていきます。
「草刈りの季節到来か」
と思いましたが、待てよ、ハコベは栄養価が高いと、整体師のKさんが言っていました。
落ち葉が混じらないよう摘みました。
こっそり混じろうとする、ホトケノザも取り除きます。
さっと湯がいて、おひたしにして、おいしかったこと。
葉と葉の感覚のまだ狭い今頃が食べどき、しばらく楽しめそうです。
2012年3月18日日曜日
2012年3月17日土曜日
魚のモビール
夫は月に五本、本屋さんからDVDを借りています。
自転車をこぎながら見たりしていますが、先日、
「これ見ない?」
とタイ映画、『ナンナーク』 を手渡されました。
ナンナーク(ナーク夫人)は、タイではよく知られた話ですが、美しい映像になっていました。
1800年代、若いナークは夫のマークと、バンコク郊外のプラカノンの村に住んでいましたが、マークは徴兵されて内戦の戦地に赴き、離れ離れになります。そのときナークは身ごもっていました。
マークは戦地で傷を負い、死線をさまよいます。同じころ、ナークは難産で、ついに赤ん坊ともども死んでしまいますが、マークは奇跡的に助かり、やがて村に帰ってきます。
精霊(日本語字幕では幽霊。難産で死んだ者は、ピー・プラーイという悪霊になる)になったナークと赤ん坊はマークを迎え、一緒に暮しはじめます。しかし、ナークの死んだことを知っている村人がナークの精霊を恐れて騒ぎ、精霊は邪魔されないよう次々と村人を殺したりします。
やがて、そんなことをしていても幸せにはならないと高僧に諭されたナークは、成仏してしまうという物語です。
たった、150年ほど前のことですが、バンコク郊外の村の、えもいわれぬ美しいたたずまいに魅了されます。家は水路に面して開いていて、みな舟で行き来しますが、水路には両岸から、ニッパヤシが覆いかぶさっています。
木造の小さな家には、竈(かまど)のほかには魚を捕まえる銛(もり)や筌(うけ)などの漁具、木を切る手斧、キンマの道具があるくらいですが、米をつくり、魚を突き、エンツァイを採ってきて、人々は豊かに暮らしています。
さて、帰還したマークが、赤ん坊のためにニッパヤシの葉から、魚のモビールをつくって、ゆりかごの上に吊るす場面があります。
素敵なモビールだったので、棕櫚で、ちょっと真似してみました。
棕櫚の葉は、中心の固い芯を取り除いてリボンにします。
その葉二枚を、お互いにくぐらせて、
風車のようにします。
裏返すと、こんな感じです。
裏を上にして、それぞれを折って、最後の一枚だけくぐらせると、この面も風車というか、小さい正方形が四つ並んだ形になります。
次には二枚だけ折り、二枚目は葉の下をくぐらせます。
魚の形になってきました。
ひれの形に切って整え、六匹つくります。
棕櫚の葉柄を削って、細いひごをつくります。
テグスを、魚の身体に対角線になるように通し、細いひごの両端に吊ります。
当時、普通の糸を使っていたと思われますが、扱いやすいテグスにしました。
これを二つつくり、針の上にひごを乗せてみて、重心を取りながらひごの中央に穴をあけ、別のテグスを通し、そのテグスに魚を一匹通してから、長いひごの端に吊ります。その魚は、途中に結びこぶをつくり、タイのジュズダマを通してその上に乗せ、位置を固定しました。
ひごには、針でテグスを通しましたが、短い端の方をしっかりつまんで、ゆっくり通すと、ひごが割れません。
かなり華やかなモビールのできあがりです。
映画では、ひごが十分しなっていましたが、これはピンとしすぎています。
葉柄は皮だけ残すようにしてかなり薄くしたつもりでしたが、少々薄さが足りないようでした。
それにしても、昔は精霊などの棲むところがいっぱいありました。今ではどこも開けて明るく、無味乾燥、精霊の棲みにくい世になってしまいました。