「あら、いやだ。あんなところに蜘蛛の巣が」
というと、
「蜘蛛の巣が嫌いっすか?えっ、嫌いっすか。おれ気にならないけど」
とSくんはいいます。
好きか嫌いかと言われれば、やっぱり嫌いでしょう。蜘蛛の巣だらけというのは、なんだか無精に見えます。ところが、どこから入り込むのか、ふと気がつくと天井近くに、蜘蛛がせっせと糸を張っています。
室内でもそうですから、外はもう蜘蛛の巣だらけ。夏の虫が多い時などは、いつも明かりのついているガラス窓の外には、取っても取っても蜘蛛は網を掛けたがります。
これは中に卵を産みつけているのでしょうか。
怒って顎を下げて戦闘態勢に入った山羊さんにも見えますし、間抜け顔の子猫にも見えます。
2015年1月29日木曜日
2015年1月26日月曜日
まだまだ続くセンダン祭り
テラスへの扉を開けると、近くの木々から、一斉にヒヨドリたちが飛びたちました。
いちじくの木にいたものは、その向こうのケヤキに移動し、さらにみんなでもっと奥へと移動します。
少なくとも50羽はいたでしょうか。
もうセンダンの実は落ちてしまったのに、いったい何をしていたのでしょう。
と、足元を見ると、テラスの手すりにセンダンの種が転がっていました。
テラスの床にも。
ヒヨドリたちは、地面に落ちているセンダンの実を拾い、いちじくの木やケヤキに留まって食べ、食べ終わるとまた拾っていたのです。
木の上で食べれば猫などにやられる心配もありません。
とすると、猫がいると知ってテラスで食べたヒヨドリたちは、とても大胆なヤツだったのかもしれません。
いちじくの木にいたものは、その向こうのケヤキに移動し、さらにみんなでもっと奥へと移動します。
少なくとも50羽はいたでしょうか。
もうセンダンの実は落ちてしまったのに、いったい何をしていたのでしょう。
と、足元を見ると、テラスの手すりにセンダンの種が転がっていました。
テラスの床にも。
ヒヨドリたちは、地面に落ちているセンダンの実を拾い、いちじくの木やケヤキに留まって食べ、食べ終わるとまた拾っていたのです。
木の上で食べれば猫などにやられる心配もありません。
とすると、猫がいると知ってテラスで食べたヒヨドリたちは、とても大胆なヤツだったのかもしれません。
2015年1月25日日曜日
2015年1月24日土曜日
2015年1月21日水曜日
2015年1月20日火曜日
2015年1月19日月曜日
冬の果樹園
栗の木がこんなに枯れやすいとは、ここに来るまで知りませんでした。
我が家でも、植えた栗の木がもう二本も枯れてしまいましたし、そこここに勝手に生える山栗の木も、気がつくとあっさり枯れていたりします。
栗の木は、家具にすると美しいものですが、虫が入らずによく大木になったと感心してしまいます。
というわけで、栗畑も、立派な古木の栗畑はよく切り倒され、小さい木に植え替えられています。
昔は、桃栗三年柿八年と言いましたが、今は接ぎ木しているのか、小さくてもしっかり実をつけるようです。
果樹の扱いは、まるで野菜並みだと思いながら眺めています。
我が家も、栗の苗を買わなくてはなりません。
栗に比べると、梨の木はもっと安定しているようです。
今頃は、枝の剪定で忙しい時期。
上につんつんと伸びている枝は、これから全部曲げられて、今は巻いてある網の位置に張ってあるネットに結びつけられます。
我が家でも、植えた栗の木がもう二本も枯れてしまいましたし、そこここに勝手に生える山栗の木も、気がつくとあっさり枯れていたりします。
栗の木は、家具にすると美しいものですが、虫が入らずによく大木になったと感心してしまいます。
というわけで、栗畑も、立派な古木の栗畑はよく切り倒され、小さい木に植え替えられています。
昔は、桃栗三年柿八年と言いましたが、今は接ぎ木しているのか、小さくてもしっかり実をつけるようです。
果樹の扱いは、まるで野菜並みだと思いながら眺めています。
栗に比べると、梨の木はもっと安定しているようです。
今頃は、枝の剪定で忙しい時期。
上につんつんと伸びている枝は、これから全部曲げられて、今は巻いてある網の位置に張ってあるネットに結びつけられます。
2015年1月18日日曜日
柿栽培
暮れに電気屋さんのほんださんに会いました。
「今年は大変だったよ。親父を手伝って、毎日毎日柿の収穫して、まいっちゃった。こんなこと初めてだよ」
ほんださんの家は、生まれたときからの柿農家です。
「親父が間違ったもんだから、たくさん生り過ぎちゃってさぁ。しかも『今日は行きたくない』なんて言っちゃって。親父がすっかり衰えちゃったよ」
お父さんは、80歳をとっくに越しています。
柿農家は、選定やら何やらで、毎年柿のなる量を調節します。
柿には生り年と裏年があるのですが、それを同じにするのが、腕の見せどころです。あまり気張って生らせると次の年にも次の次の年にも響く、勘と経験がものをいう作業なのです。
「でも、お父さん経験を積んでいるんだから、あまり間違いはないんじゃないの?」
「それが、ダメ。柿職人は去年どうだった、一昨年はどうだったって、柿の木一本一本について記憶しておかなくっちゃなんないのよ。何百本もね。それを間違えちゃうと、手入れ全体が間違っちゃうってわけ。年とると、その記憶がいい加減になっちゃって、見ての判断は間違いないんだけど、全体の情報量が少なくなってしまうんだよ」
「あちゃぁ、難しいんだねぇ」
「おれも、こうして生活できているのは、全部柿のおかげだからなぁ」
「でも、今からだと、柿の手入れのことは何もわからないんでしょう?」
「そうなんだ、何にもわからない」
秋には鈴生りの柿を見て感心しているだけですが、柿農家は一年中手入れが欠かせません。
果樹の寿命はわりと短いので、うまく上手に世代交代もさせていきます。若い木より老いた木の方がおいしい実が生りますが、量は採れません。それをどう調節するかで、経営を計ります。
植えたばかりの苗は、こもを巻いて、しっかり養生しています。
手前の木はずっと前に、奥の木は昨年、皮を剥いでしまった柿の木です。
「柿の木って、昔から皮をはいでいたの?」
皮の下に虫が入るからと、柿畑の矮性(わいせい)仕立てにした柿の木は、たいてい皮が剥いであります。
「あれは昔は辛い作業だったんだよ。おふくろなんて何回も皮をむいてて手を切ったって。ひどい怪我をしたした人もいたよ。でも今は高圧の水で剥くから、簡単なものだよ」
石に字を彫るのも、石を切るのも、今ではみんな水とは知っていましたが、柿の木の皮まで水で剥いていたとは、全然知りませんでした。
2015年1月17日土曜日
イノシシ、健在!
張りめぐらした、イノシシ除けの紐を久しぶりにチェックしてみました。
あっちも切られている、こっちも切られている、10ヶ所くらい切られていました。
毎日チェックしていないので、どういう形で切られたか正確にはわかりません。張ってある糸を切るのは簡単そうですが、一度切れてゆるんだり、地面に転がったりした紐を切るのは難しそうです。
何度か切られて、侵入経路はだいたいわかりました。
こちら、Kさん、Jさんの家の方向です。
こちらは、ぶつぶつに切られていた場所です。
手入れされていない森や林、荒蕪地に続いていると言うよりは、どちらかと言えば、もっとも人間の領域に属している一角です。
端まで行って下をのぞくと、
Kさん、Jさんの家へ行く道があり、その向こうには、隠れていますが公道があります。
左手、木の陰にはちよさんの家があり、右手のちよさんの家の前は谷津田、そしてその向こうには、やはり丘がせり出しています。
谷津田は右に向かって開けていて、左が山です。イノシシどもは左の山、あるいは奥に見える丘から下りて谷津田を通り、公道を横切ったら斜面を駈け上ってKさん、Jさんの家への道に出て、また斜面を駈け上って来ているのです。
「どうして人家の方に来るのよ?」
山の土だってふかふかでミミズもいることでしょう。
最近、我が家の実害は減っていますが、暮れには近くの集落で、戸を開け放したままで外に出ていた人が家に入ろうとして、中から飛び出してきたイノシシとぶつかり、怪我をしたという記事が新聞に乗っていました。イノシシは留守の台所をあさっていたらしいのです。
まあ、何度も言いますが、熊も鹿も猿もいないのでよしとします。
そして、兎、狐、狸、狢(むじな)、貂(てん)、鼬(いたち)などは大好き、出逢うと嬉しくなります。もっとも狐は話に聞くだけで、まだ出逢ったことがありません。
2015年1月16日金曜日
2015年1月15日木曜日
松が倒れた
いつかは倒れると思っていた、Hさんの敷地の松が倒れました。
ここに来た十数年前には、まだ大きな松の松林が残っていて、訪れた人から珍しがられていました。
それが次々と枯れ、倒れ、もう三本しか残っていない松の一本でした。
松は、落ち葉をすっかり取り除いた痩せ地に育つと言います。ところが、誰も手入れしない林には雑木が増えて落ち葉がつもり、土地は栄養たっぷりとなり、残った松も枯れていきます。
昔は、焚きつけに肥料にと、落ち葉や枯れ枝が大切だったので競って拾い、林の中は裸足で歩けるほどきれいだったそうです。
もうずいぶん前から枯れていたのですが、力尽き、根元からどたりと倒れました。
幸か不幸か、以前つくったけれどもう使っていなかった物置の、鉄パイプで支えられるように止まっています。
途中で枝分かれして二本になった幹の細い方が、引っ掛かったのです。
道を塞いだり、他の木をなぎ倒したりしなくてよかったけれど、片づけるのはちょっと大変です。
二本残った松のうち、この松も今年中には倒れそうですが、倒れても遮るものがありません。
まあ、直撃されない限り、問題はありませんが。