
綿の実です。
タイ中部のチャイヤプム県で栽培されていたものです。
1990年頃でしたか、タイ政府は新しい換金作物として、綿の栽培を奨励しました。最初の年はまあまあの収量と収入がもたらされたのですが、年ごとに収量が落ち、5年も植えていると、農薬代と化学肥料代の方が高くつくようになり、みんな脱落して、そのときの綿ブームは、失敗に終わりました。
私は、タイの農村で泊めていただくとき、いろんな農作業を手伝うのが好きでした。
男性が棒で突いて開けた穴に、女性たちがトウモロコシの種を落としていく仕事など、身体を二つに折っているので、汗が胸から顔へと流れ、目にも流れ込みましたが、それでもみんなで競争して種を置くのは、楽しいものでした。
でも、綿摘みだけは嫌いでした。
芽が出てから収穫までに、7回も殺虫剤をかけたというのに、実という実には、赤くて大きい虫が、3匹も4匹もついているし、なんだか手ざわりがねっとりして、あまり気持ちのいいものではありませんでした。
綿は、根には水分がたっぷりあり、雨の少ないところを好みます。インドのグジャラートとか、スーダンのゲジラとか、沙漠のようなところを灌漑したところでよく育ちます。しかし、そういう国家規模の灌漑地で換金作物を植えるということは、そこへ流す水を、本来流れていた地域から取るということであり、しかも綿は食料ではありませんので、人々の生活を圧迫し、食糧不足を招くということにもつながります。
「綿は自然素材だからいい」といっても、無闇矢鱈に消費すれば、誰かがしわ寄せを受けていることになってしまいます。

岡崎に住む友人からいただき、我が家で育てた三河木綿の茶綿と、チャイヤプムの綿と比べてみますと、(近年)品種改良された、チャイヤプムの綿の方が、ずいぶん大きいことがわかります。
品種改良が、高収量や木の矮性化を目指していることは知っていましたが、

玉が四つに割れる綿と、三つに割れる綿があることは、知りませんでした。
ちょっと見にくいのですが、綿の膨らみ具合からわかるように、チャイヤプムの綿は、外皮が四つに割れています。

それに比べて、三河木綿の外皮は三つに割れています。綿を取り除いてみたところです。

花が咲いて、綿の玉ができたとき、綿の入った部屋が三つあったのか、四つあったのかという違いがあったのでした。
綿はインド原産ですが、多湿の日本では育ちにくく、やっと栽培できるようになったのは17世紀のことでした。それまで、庶民は冬でも麻、苧麻、葛などの布しか着ていなかったのですから、冬の寒さはこたえたことでしょう。

綿の種をとる道具です。
これはカンボジアのものですが、日本の種とり器も、タイの種とり器もそっくりです。
織物の道具など、他の道具に比べて、綿の種とり器ほど、お互いによく似ているものをあまり見たことがありません。

この左のネジで、二本の棒を回しながら、右の丸棒のところに、種のついた綿をくぐらせます。すると、種が棒と棒の間を通れないで、手前に落ちるという仕掛けです。

一つの三河木綿の綿には、22個の種が入っていました。