2019年7月15日月曜日

聖なる木たち


しばらく前から、どこへしまったんだろうと探していたセイタカミロバラン(Terminalia belerics)の実が、玄関の棚の隅に置いてあるのを見つけました。
これは、5月に西岡直樹さんのお話を聞きに行ったとき、レジュメと一緒にいただいたものです。
セイタカミロバランは如意樹、不老長寿の実と言われ、神話にも出てくる実です。

じつはその講演から帰った夜から、右足が激痛に襲われ、歩くことがままならないどころか寝返りも打てなくなって数日苦しみ、MRIまで撮ることになってしまいました。
わりと低めの背もたれのない椅子に2時間腰かけていたのが多分原因だろうと思い、あまり思い出したくないことと封印していたので、セイタカミロバランの実の紛失にも、長く気づいていませんでした。

そのことが原因で、同じ場所で開催された6月のモジュガンさんのお話は、とうとう聞きに行くことができませんでした。


西岡さんはセイタカミロバランの実のほかにも、2種類の葉っぱをくださいました。
夫と二人で行ったので、二人分あります。


沙羅双樹の葉です。
西岡さんのご本に書いてあるのに、お話を聞いて、沙羅双樹がShorea robusta、つまりフタバガキ科の木だと、初めて気づきました。


フタバガキ科の木は、羽のついた実をつけます。


タイにも、ショレアの木はたくさんありますが、ロブスタはほとんどありません。ロブスタは、雨季と乾季がはっきり分かれている地域に生えます。
根元で枝分かれしているというか、2本並んで生えることも多いので、双樹と言われているそうです。


もう一つはインドボダイジュ(Ficus religiosa)です。


もともと聖なる木なので、インドでも東南アジアでもどこに生えても伐られることなく、ほかの木の幹に種を下ろしたら、その木の養分を取りつくして生き残ってきましたが、西岡さんのお話では、インドでは昨今開発の波を受けて、インドボダイジュも伐られて少なくなっているそうです。
30年前は、カルカッタの中心街でも、古い建物の壁の途中や屋上に我が物顔に芽を出しているインドボダイジュが見られましたが、今では近代的な建物に建て替えられていることでしょう。
そして、田舎でも、みんなが集まったインドボダイジュの木陰は少なくなっているそうです。





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