2010年7月29日木曜日

オモダカ



歌舞伎の市川猿之助を、澤瀉屋(おもだかや)と呼ぶことは、あまりにも有名です。
かつて、重要な意味を持っていた家紋には、オモダカがたくさん使われています。




紋帖を見ると、オモダカの紋は、4ページにわたって載っていました。

そんなに名の知れたオモダカですが、実物を見る機会はほとんどありません。私も、小さいとき、見たことがあったような、なかったような。
花木センターには、睡蓮やハスだけでなく、コウホネも売っていましたが、雑草のオモダカは売っていませんでした。




そのオモダカが、毎年生える田んぼが近くにあります。
「あ、今年も元気で出てきた」と、喜んでいたら、手前の土手に除草剤をかけられてしまいました。




手前の草は、これこのとおり、すっかり枯れています。稲と土手との境界線上に生えているオモダカも、一部は健在ですが、一部は枯れてしまいました。

こちらに来た当時、田んぼの畦に除草剤を使う人はいませんでした。ところが毎年、一人増え、二人増え、最近では、あちこちで使われるようになりました。

これまでの除草剤の歴史では、現在使われているもの以外のすべての除草剤が、最初は「安全」と言われていたのに、残留毒性が認められて使用禁止になってきました。使用開始から、短いもので数年、長いもので20年ほどで製造禁止になりました。
ですから、いま安全と言われているものでも、いつ残留毒性が見つけられるかわかりません。というのに、除草剤は相変わらず使われ続けます。

刈り払い機で草を刈るのと、除草剤を撒くのと、そう手間は変わりません。ただ、除草剤の方が、効果が少し長持ちするでしょうか。
この除草剤を撒いた田んぼの持ち主も、貸していた田んぼが、父が高齢で、息子は病気になったなどの理由で返されたり、パラグライダーの着地場として貸していた田んぼが返されたりと、いろいろなことで急に耕作面積が増えたので、手が回らなくなっとのだとは思いますが...。
しかし、彼は除草剤を撒く田んぼと撒かない田んぼと決めているようです。きっと、撒いている田んぼの米は売るものなのでしょう。




美しい田園風景ですが、毒もいっぱい隠されています。

ちなみに、澤瀉屋の屋号は、初代市川猿之助の家が副業で薬草のオモダカを扱う薬草店をやっていたからという理由らしいのですが、牧野富太郎の『原色牧野和漢薬草大圖鑑』には、オモダカは載っていません。

いつごろまで、薬草として使われていたのでしょうか?

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