2010年7月30日金曜日

ボウシュウボラ?



今朝は雨。
作業はできないので、ひたちなかの魚市場まで買出しに行きました。割合最近行ったばかりですが、そのときは、てんぷらにするアナゴが水揚げされていませんでした。
今日買ったのは、アナゴの他には、イナダ50センチほどのもの2尾で600円、コチ4尾で500円、さば5尾で500円など。軟弱者ですから、全部下処理してもらいました。

このところ、魚市場からホームセンターへは、海沿いの道を行くのが定番になってきました。
阿字ヶ浦の砂浜に下りてみると、夏休みだというのに、ほとんど人出がありませんでした。




浜はきれいに洗われてなんにも落ちていません。それでも念のためと、平らな砂浜を歩き、帰りは足跡のついたあたりを歩いていたら、




大きな巻貝が、ぽつんと一つ落ちていました。「あなた、こんなところで、何しているの?」と声をかけたくなるほど、波打ち際からは遠く離れたところに、唐突に転がっていました。

外はけっこう古そうな様子なので、空だと思って覗いてみたら、黒いものあります。しかも動いています。ちゃんと生きていました。




波打ち際で、記念写真を撮って、できるだけ遠くに投げ入れて、さよならしました。

家に帰って図鑑を調べてみたら、ボウシュウボラのように見えます。房総半島以南に生息すると書いてありましたが、房総半島より北の、阿字ヶ浦あたりにも住んでいるのでしょうか。それとも誤って流されてきたのでしょうか。




というわけで、持ち帰ったのは、石三つと、穴を開けられたオキアサリ?と、赤いプラスティックの玉でした。

2010年7月29日木曜日

オモダカ



歌舞伎の市川猿之助を、澤瀉屋(おもだかや)と呼ぶことは、あまりにも有名です。
かつて、重要な意味を持っていた家紋には、オモダカがたくさん使われています。




紋帖を見ると、オモダカの紋は、4ページにわたって載っていました。

そんなに名の知れたオモダカですが、実物を見る機会はほとんどありません。私も、小さいとき、見たことがあったような、なかったような。
花木センターには、睡蓮やハスだけでなく、コウホネも売っていましたが、雑草のオモダカは売っていませんでした。




そのオモダカが、毎年生える田んぼが近くにあります。
「あ、今年も元気で出てきた」と、喜んでいたら、手前の土手に除草剤をかけられてしまいました。




手前の草は、これこのとおり、すっかり枯れています。稲と土手との境界線上に生えているオモダカも、一部は健在ですが、一部は枯れてしまいました。

こちらに来た当時、田んぼの畦に除草剤を使う人はいませんでした。ところが毎年、一人増え、二人増え、最近では、あちこちで使われるようになりました。

これまでの除草剤の歴史では、現在使われているもの以外のすべての除草剤が、最初は「安全」と言われていたのに、残留毒性が認められて使用禁止になってきました。使用開始から、短いもので数年、長いもので20年ほどで製造禁止になりました。
ですから、いま安全と言われているものでも、いつ残留毒性が見つけられるかわかりません。というのに、除草剤は相変わらず使われ続けます。

刈り払い機で草を刈るのと、除草剤を撒くのと、そう手間は変わりません。ただ、除草剤の方が、効果が少し長持ちするでしょうか。
この除草剤を撒いた田んぼの持ち主も、貸していた田んぼが、父が高齢で、息子は病気になったなどの理由で返されたり、パラグライダーの着地場として貸していた田んぼが返されたりと、いろいろなことで急に耕作面積が増えたので、手が回らなくなっとのだとは思いますが...。
しかし、彼は除草剤を撒く田んぼと撒かない田んぼと決めているようです。きっと、撒いている田んぼの米は売るものなのでしょう。




美しい田園風景ですが、毒もいっぱい隠されています。

ちなみに、澤瀉屋の屋号は、初代市川猿之助の家が副業で薬草のオモダカを扱う薬草店をやっていたからという理由らしいのですが、牧野富太郎の『原色牧野和漢薬草大圖鑑』には、オモダカは載っていません。

いつごろまで、薬草として使われていたのでしょうか?

2010年7月27日火曜日

サラカヤシの種



バティクを教えてくださるS先生が、留学前の手続きのために2週間ほどインドネシアに行って、帰っていらっしゃいました。
先回のレッスンのとき、ライチーの種をいただいて植えたことから、私の種好きを知り、サラカ(Zalacca edulis)の種をお土産に持って帰ってきてくださいました。

サラカはヤシの仲間で、ジャワ原産ですが、東インド諸島から、東南アジア諸国、インドにまで広く分布しています。




果実は、見たところ、センザンコウそっくり。
『東南アジアの果樹』(農林省熱帯農業研究センター、1974)に寄れば、1937年ごろまで、日本の果物屋さんの店頭で売られていたそうです。知りませんでした。

以前でしたら、種好きの私としてはもったいなくて植えられなかったのですが。一粒だけ残して、植えてみました。純熱帯の植物ですが、育つでしょうか?


2010年7月24日土曜日

山百合



かつて、このあたりの山の、いたるところに山百合が咲いていたそうですが、イノシシが掘ったり、人が掘ったりで、近頃ではめっきり減っています。それでも、季節になると、あちこちで開花して、いい香りが漂います。

今年は、ついでに田んぼを見回ることが多く、あまり山に向かって散歩に行けませんでしたが、久し振りに山に向かいました。
山百合の季節はすでに終わっていると思っていましたが、まだちらほらと咲いていました。
山百合は、見るたびに、「やはり山に置け、山百合」と思ってしまいます。庭で、栄養たっぷりにたくさん花をつけているものより、山の中で、細い茎を精一杯伸ばして、一輪だけ咲いているものの方が、私は好きです。




道には、カラフルなカメムシが歩いていました。家で見るのは地味なやつばかりですが、カメムシはカラフルな方が素敵です。

2010年7月23日金曜日

セミの抜け殻



今年も、ニイニイゼミの抜け殻が、目立つようになりました。ケヤキの木の、低いところです。




ケヤキまで、到達せずに、根元のところで脱皮したセミの殻もたくさん転がっています。




ミンミンゼミはまだだろうなと、コブシの木を見ますと、あわて物でしょうか、もう出てきているようです。
こちらは木を高くよじ登ったところで脱皮します。毎年、セミの抜け殻だらけになる、小枝もあります。




それにしても、ミンミンゼミの抜け殻はみな、つやつや光っているのに、どうしてニイニイゼミの抜け殻は泥だらけなのでしょう。脱皮する高さと汚れ具合は、関係あるのでしょうか?

2010年7月22日木曜日

ナナフシ



窓に大きなナナフシがいるのを見つけました。

ガラスが光って、写真がうまく撮れないので、ナナフシさんには、ちょっと降りていただくことにしました。
軽く触ると、あれ、行方不明に、




と思ったら、私にしっかりしがみついていました。やめて~。
体長は、触角も入れて、15センチほどでした。


2010年7月21日水曜日

葉っぱを食べられました



芽を出したアボカドは、順調に育っていました。
芽を見つけてから、十日ほどたったアボカドです。




そして、それから一週間。
あらっ。せっかくの葉っぱが、なにものかに食べられています。




まだ、葉っぱの上でうろうろしていた、犯人を逮捕しました。
これって、あの、つくばいの中で自死していたの仲間?
釈放すると、また食べちゃうんではないかと心配で、ただいま監禁しているところです。

2010年7月20日火曜日

ライチーは葉が出ました





6月24日に植えたライチーの種は、7月14日には、芽が出ていました。
半分くらいまで土を被せた種が一番長く芽を伸ばし、




三分の二くらい埋めた種も芽を出していましたが、四分の三埋めた種は、まだ芽を出していませんでした。




そして、7月20日には、半分埋めた種から出た芽が、こんなに大きく育ちました。




残念ながらあとの二鉢は、芽が1センチくらいでたところで、枯れてしまったようです。でも、よく見ると、三分の二埋めてある種の芽は、もう一回出ようとしているようにも見えます。

土を少し取り除いた方がいいのか、このままにしておくべきか、ちょっと悩みます。

ところで、先日花木センターに行ったら、「ライチーの苗はありますか?」と、たずねていた女性がいました。結局、苗はなかったのですが、彼女の話だと、友人の家にライチーの木があって、温室でもなんでもないところに植えてあるのに、いまライチーが鈴生りだそうです。知りませんでした。茨城県でもライチーが実るなんて...。
我が家のライチーも、俄然、期待度が大きくなりました。

2010年7月19日月曜日

穴の開いた石





またまた拾ってきてしまいました。ひたちなかの海で、穿孔貝の掘った穴のある石を。

前回は、阿字ヶ浦の砂浜でしたが、今回は、それよりちょっと南の岩のあるところです。大小たくさんの穴が開いていて、貫通しているものも、貝殻のようなものが残っているものもありました。




同じ石たちの裏です。
前回砂浜で拾ったものに比べると、ぶつかって欠けた後に十分波にもまれなかったのか、私の好きな、真ん丸い形になっているものは、なかなか見つかりません。
なんだか雑然としているので、




まずまずの美石、ベスト・シックスを選んでみました。下の右端の石は、厚みもあって球に近いものです。




おやっ、テグスを結んだ石がありました。魚釣りの重石にしたのでしょうか?




穴はありませんが、私の好きな形の石たちです。どれも平べったい石ですが、右端の石は柿の種ほどの厚みしかありません。




昨日、久し振りに寄った街の本屋さんで、こんな本を見つけました。
行ってみたい海岸がいっぱい出てきて、困りました。あちこち行っていると、家が建たなくなります。
でも比較的近い、いわきの久之浜や北茨城市の長浜には行ってみようと、ひそかに決心しました。

2010年7月18日日曜日

ミョウガ



地主さんとの偶然の出会いから、ここに住むことを決めたとき、元は畑だった敷地は、人の背丈よりも高い草に覆われていました。
草刈りからはじめた家つくりでしたが、ちょっと余裕ができると、隣接した、やはり耕作放棄された畑の草も、その持ち主さんに断って、刈りはじめました。というのは、周りに足を踏み入れられず、雑然として、気分的に落ち着かなかったのがおもな理由ですが、篠竹、葛、セイタカアワダチソウ、カナムグラ、茨などが、境界線から、すぐに入ってくるので、刈っておく方が、管理もずっと楽でした。

放置された畑の草刈りは、最大時は千坪ほどにもなり、大変でしたが、嬉しい発見がいっぱいありました。影も形もなかった蕗、ミョウガ、ウドなどが、三年目くらいから出てきはじめたのです。すっかり葛に覆われてしまっていた、柿、梅、スモモなども、発見しました。

そのミョウガを数株ずつ、我が家の庭の二ヶ所に移植させてもらいました。それが年々本数を増やして、今では、ちょっとしたミョウガ畑になりました。




春先には柔らかい茎を楽しみましたが、やっと花芽を出しました。




これからしばらくは、花ミョウガを楽しめます。
たくさん採れたときは、千切りにして、肉と古キムチと炒めると、おいしくて、びっくりするほどたくさん食べられます。

ミョウガの生えてきた畑は、昨年から持ち主さんが自分で草を刈るようになりました。ずいぶん楽になりました。
ちよさんが高齢で畑仕事はできず、息子のひろいちさんだけが日曜日に田んぼや畑仕事をしていたので、これまで放棄した畑の草刈りまで手が回らなかったのですが、ひろいちさんのお連れ合いの看護師のえいこさんが草刈りをするようになったのです。

2010年7月17日土曜日

マツバガイ?



貝の図鑑をぱらぱらと、カサガイをさがしているとき、最初に目に入ったのは、マキガイ綱、モノアラガイ目のカラマツでした。
「えっ、カラマツだって?傘みたいな貝は、マツバガイだけじゃないんだ」。

それから、もう一度よく見直しました。
はっきりわかりませんが、以前拾った、大きいものと、今回拾った下の3つは、オキナエビスガイ目、ツタノハガイ科のマツバガイに見えます。




裏は、青いものが二つ、違うかなあ。




こちらは、横から見ると、背が高くないので、ヨメガカサでしょうか。




残る二つは、ツタノハガイ科のクズヤガイ(左)と、マツバガイ(右)にも見えるし、カラマツにも見えるし、ということで、わかりませんでした。

でも、磯の生活と、海の生活を垣間見て、楽しいひと時でした。




あと、誰も拾わないような、地味~な貝と、




つやつやときれいな、クルミも拾いました。

2010年7月16日金曜日

海へ



久し振りに海に行きました。
ひたちなかの市場で魚を買って、近くのホームセンターで建設用資材を買うのが目的でしたが、魚市場からホームセンターへは、海沿いの道を通り、途中、漁港の浜に降りて、ちょっとだけ、潮の匂いをかぎました。




なにせ、即席の、しかも贋のビーチコーマーですから、目は、うろうろ、きょろきょろ、定まりません。




それでも、貝を拾いました。




鬼の洗濯板のようになっているところで、もう一度ストップ、こちらでは、おもに、私の好きな、穴の開いた石を拾いました。




狭い砂浜の石の下に、ビン底のようなものがいくつも落ちています。拾おうとして、「待てよ、同じものがいくつも落ちているわけがない」と、靴で触ってみたら、きゅっと縮みました。
「ひぇ~ぇ」、拾わなくてよかった。




ところで、拾った貝は、全部マツバガイだろうと思っていましたが、家に帰って、図鑑(一応、あります)で調べてみたら、どうもそうではないようでした。




ホームセンターへの道、昼だというのに、どんどん霧が出てきました。
続きは、またにします。