2011年8月31日水曜日

うずら豆





冬に、ご著書をいただきに筧次郎さん宅を訪問したとき、
「去年は、珍しく大豊作だったから」
と、地のうずら豆をいただきました。
それまで、毎年虫にやられて、あまり収穫できたことがなかったそうです。

農薬+化学肥料農家が、どこも同じよう、画一的なのに対して、有機農家は、それぞれ個性があります。
工場生産品である農業資材、特に機械をどこまで使うのか、どこまで手作業でやるのか、それぞれ意見が別れるからです。

たとえば、乗って作業するトラクターと、手押しの耕運機と、そして鍬では、作業量が格段に違います。しかし、トラクターを使うということは、それを遠くの畑 や田んぼにまで運んでいかなくてはならないので、軽トラックでは運搬できず、少なくても一トントラックを持たなくてはならなくなるといったふうに、設備全体が違ってきます。

もともと哲学者だった筧さんは、ガンジーの思想、労働=生きることを長く実践されている方で、非機械化派の最右翼(最左翼?)に位置される方です。

うずら豆は、2009年は不作だったそうですが、2010年は筧さんだけでなく全国的に豊作だったようでした。猛暑が影響していたのでしょうか?

「蒔く時期は、七月第一週ですよ」
んっ、どこかで聞いたような。
筧さん同様、ここ八郷の有機農業の大御所のUさんから、地の大豆をいただいたとき、同じことを言われました。もう、七、八年前のことです。
勇んで植えた大豆は、全部虫にやられて、無残にも全滅しました。以後、Uさんの敷居はちょっと高くなっています。
Uさんは、筧さんとは対極をなす、トラクターも持って、大規模に有機農業をやられている方です。




うずら豆のため、満を持して早くからキュウリ栽培用のフレームを買い、キュウリネットを張って、七月第一週に種を巻きました。
筋蒔きにして、間引きもせず、そのまま大きくしましたが、なんとか育っています。




楚々とした花が咲き、




小さな実がつき、



莢が育ち、




もう種が膨らみかけている莢もあります。
虫に見つからず、なんとかうずら豆が収穫できるでしょうか。
楽しみです。







2011年8月30日火曜日

枯らしてしまったライチー





昨年、S先生にいただいたライチー、寒さに当てたみたいで、葉っぱはやられてしまったけれど、茎はなんとか生きているのではないかと信じていました。
ところがだめでした。いくら待っていても、葉が出てきませんでした。

という話をしたら、同じ時に種を蒔いたkuskusさんから、順調に育っている二本のうちの一本を分けていただきました。




私は三粒蒔いて、さらにkuskusさんから、秋に一本いただいて、結局全部枯らしてしまいました。
kuskusさんも三粒蒔いて、一本は私にくださったのですが、残り二本がこんなに元気に育っているのです。

「私は、緑の手を持っていなかったのか」
反省することしきりですが、こんどこそ丈夫に育てて、やがて鈴なりのライチーを見たいと思っています。



2011年8月29日月曜日

どんぐりもどき





久しぶりに、二階の展示室の大掃除をしていました。新しい棚をつくるには、スペースが足りませんが、なんだかものが溢れ気味です。

この籠にも、あの箱にも、何かしら入っています。
おもちゃに混じって、種がありました。
「あらっ、こんなところにどんぐりが」

拾い上げて、どんぐりの入っている箱に入れようとしたら、




お尻の方に、五つ穴が開いています。
えっ、ややこしい。
どんぐりではなさそうです。

どこで拾ったものか、どうして一つだけあるのか、あんまり考えたくないです。
これはなんだろう?




2011年8月28日日曜日

浮き





ひたちなかからの帰り道、いつもと違う道、海沿いの国道を南下してみました。
車がひっきりなしの国道というのに、片側を通行止めにして、地震で路肩が崩れた場所の修復作業を、まだ延々と行っていました。国道がこんな調子ですから、人通りの少ない道の修理が、あちこち手つかずというのも、うなづけます。

旧旭村(現鉾田市)のあたりで、海へと折れてみました。集落の奥に、小さな砂浜がありました。
海水浴客を目当てにしてか、駐車料金はばっちり取りにくるのに、浜の汚いこと、ペットボトルなどのプラスティックゴミが散乱しています。
また、二、三、人影がありましたが、浜を四輪駆動車で走る、マナーの悪い人もいて、今まで見た浜の中で、一番荒れている感じがしました。




ゴミの中に目立つのが、発泡スチロールの浮き、やはり養殖に使うものでしょうか。
耐久性がなさそうなのに、自然に返るのも難しそうな素材。
こんなにたくさん落ちているくらいだから、たくさん使われているのでしょう。




なんて、批判しつつ、しっかり拾ってきました。




というのも、浮きが悲しげな顔で、
「拾ってくれない?、拾って」
と、訴えかけたからです。






2011年8月27日土曜日

久しぶりに海へ





雨で仕事にならないからと、久しぶりに海の近くにあるホームセンターに行きました。
ところが雨はやみ、いい具合になりました。

復興した港の魚市場をのぞいて、軽くお寿司をつまんでから、海沿いの道を行こうとしたら、地震で陥没した道路の修理はまだ手つかずで、通行止めになったままでした。

回り道を通り、海辺の道に合流してから、道のすぐ下にテトラポットが置いてある浜に降りてみました。
津波で打ち上げられた流木などが、そこここに残ったままです。




どこから流れ着いたのか、ガスボンベも幾つか見ました。




ぽつんと転がっているのは、養殖用の浮きでしょうか?




次に降りた小さな浜に、こんな石がありました。




石の穴に残っているのは、なんでしょう?




おもしろいなと思いつつも、この石は拾わず、




拾ってきたのは、いつもの丸い石と、




大きな穴の開いた石と、



二枚つながった貝と、




何だかわからない、小さなプラスティックの人形でした。




阿字ヶ浦海水浴場にも行ってみました。
お盆を過ぎたからか、平日だからか、原発事故の影響か、長い浜にはまったく人影がありませんでした。わずかに沖にスピードボートが二艘、けたたましく走っているだけでした。
浜には、いつも何も落ちていませんが、海水浴客のために清掃したのか更に何もなくて、砂だけでした。

ちょっと離れた大洗海岸やひたちなか港は津波の被害がひどかったのに、阿字ヶ浦はまったく被害がなかったと聞いています。地形なのでしょうか。
海のすぐ近くの、低い場所の建物も健在です。

その浜のすぐそばの家の前に、マツバボタンを植えてあるのを見ました。
昔はどこにでもあったマツバボタンですが、このごろ流行るのはもっと派手な花ばかり、とっても久し振りに見ました。





2011年8月26日金曜日

いろいろな実





Tomokiさんからいただいた実の最終回です。

この莢は、一目見たときあまり薄いので、まだ若い未熟な莢かなと思いました。
ところが、一方の端に、しっかり種が入っていました。

莢の片方を軽くつくって、自分の莢をプロペラにして、飛ぶ実だったのですね。
植物も、いろいろなことを考えるものです。




図鑑でしか見たことがなかった、ねじれた実です。
Helicteres isora LINN.、タイ語でポピット、英語でスクリュートゥリーと言います。
低木が密集したような、落葉灌木林に生えます。

タイ南部では、乾燥した実を、強壮剤(とくに産後の妊婦や、子どもの胃痛の治療)として、市場で売っているそうです。 





これは、草の実ではなくて、木の実でしょうか?




そしてこれも木の実でしょうか?
似たものがいろいろあるので、皆目わかりません。




この実は、椰子の実でしょうか?ちょっと違うような気もします。
手持ちの椰子の実と比べてみようとしたのですが、どこへしまったか、手持ちの実が見つかりませんでした。
また、見つかったときに比較してみます。
高さ2センチほどの小さな実です。

Tomokiさん、ありがとうございました。





2011年8月25日木曜日

バナナリポート





バナナの花は咲き続けていますが、もう実にはならないのでしょうか。




結実しているのは、相変わらず六段目までで、あとはただ節が増えているだけです。
バナナそのものも、目に見えて太くなってはいないようです。
苞葉の色は、ちょっとだけ赤っぽくなったでしょうか?




先日、Kuskusさんの家で、バナナの親株を見せていただきました。
堂々たる株でしたが、今年はまだ実がついていないそうです。

バナナは、日当たりがいいと、新しい芽が次々と出てくるのですが、風通しがよいと、葉がすぐぼろぼろにちぎれてしまうということでした。
Kuskusさんの近くの、やはり株分けされた別の家のバナナは、すごく繁殖して子株でびっしりでしたが、大きな株は葉は、風でぼろぼろになってしまって、みすぼらしいので、切り倒されたようでした。
それでも新しい株が、後から後から出てきていました。

たった三株の我が家とは大違いです。
我が家の日当たりは、よいとは言えませんがそこそこです。イノシシに倒されなければ、もう少し株数は多かったはずです。と言っても、五、六株ですが。

土地の乾燥度も関係しているかもしれません。
Kuskusさんのバナナも、その親株のIさんのバナナも傾斜地で、わっと生えている家のバナナは、ひな壇になっている庭の端です。
どこも保水力が低く、乾燥しそうな土地ですが、我が家は平地ですから、保水力が高そうです。

でも、実がなっているので、欲張らず、よしとしましょう。
ただ、将来的には、傾斜地にも株分けしてみたい気がします。






2011年8月24日水曜日

ポプリ





ポプリは、ドライフラワーでつくっているとばかり思っていました。
しかし、種も入っているとのこと、そういえば、ずっと昔に誰かにいただいたポプリがあったのを思い出しました。




30年くらい前のものです。母屋が完成して荷物を整理したときに、古いので捨てようかと思いましたが、
「場所も取ってないし」
とそのままにしておいたものです。

蓋が網になっている箱に入れているのに、今でも香りがありますから、30年前はずいぶんきつい香りだったのでしょう。
開けてみると、やっぱり種も入っているようです。




よく見ようと、中身を笊に移すと、とたんにトラがやって来ました。




音がするのも楽しく、爪に引っ掛けては飛ばして遊び、邪魔ばかりします。




やっと追い出すと、笊の下はこのとおり、ポプリが粉々になっていました。




これは、ナンバンアカカズキのようなものでしょうか?マメ科の莢です。




染められて、傷んでいますが、ターミナリアのような四枚羽の種です。




これはなんでしょう?ジャカランタの仲間でしょうか?




くしゃくしゃになっているけれど、舟に入った薄い種もありました。
真ん中の二つは、Tomokiさんが送ってくださったものです。
熱帯の種がいっぱい入っていましたから、きっとタイでつくられたポプリだったに違いありません。





2011年8月23日火曜日

収穫の喜びというけれど...



よく収穫の喜びといいます。
確かに喜びもありますが、収穫には時期があって待ったなしなので、あせることも多く、とくに細かいものは、かなりの作業量になります。
しかも、お米やごまのように、収穫のあとで、きれいな混じり物のない状態にするのがたいへんな作物もあります。

しかし、だからこそ手間賃が加算されますから、腕に自信のある、働き者のお百姓さんは、手の掛る作物を選んで栽培したりします。
一時、たけさんは、そんな労働集約型の野菜である、サヤエンドウとシシトウをつくっていたことがありました。来る日も、来る日も、さやえんどうを20キロも摘み続けるなんて、もう神業、私には到底できないと思いました。




我が家には、Mさんからいただいたブルーベリーが六本、母からもらったブルーベリーが二本あります。
いま、Mさんにいただいたブルーベリーのうち、三種類が、次々と収穫時を迎えています。




生りはじめの頃は、一粒見つけては大喜びしますが、やがて次々に熟れてきます。
摘んでも摘んでも、採りきれないほどの最盛期になると、贅沢なことですが、うんざりしてきます。




けっきょく、一時間ほど摘んでいたでしょうか、四キロほど採れました。
それが、雨の前です。

数日間、断続的に降り続いた雨が、やっとやみましたので、ブルーベリーを見ますと、またずいぶん熟れた実が増えていました。



2011年8月22日月曜日

昆虫に似せて





Tomokiさんにいただいた種の中にあった、まるで蛾のような種です。

上段が、いただいたもので、下段が待っていたものです。よく似てはいますが、種の形が違います。いただいた種は、ぷっくらと膨らんでいますが、持っていた種は痩せています。
また羽は、いただいたものはつや消しですが、持っていた方は艶々と光っています。

どちらも、ターミナリアの仲間でしょうか?
あるいは、どちらもターミナリアではないのでしょうか?
ターミナリアの種は、形は似ているけれど、色がこんなに濃くないような気もします。




上段が持っていたもの、下段がいただいたものです。
上段は、やはりターミナリアだと思いますが、下段は何でしょう?
木ではなく、草にもこんな種があったような...。

この形の種も、ちょっとずつ違って、いろいろあります。