みごとなお雛さまたちでした。
季節がら、「お雛さま展」をやっているかもしれないと、寄ってみた徳川ミュージアムでは、残念ながら、展示してあるお雛さまの数は少なく、館内は撮影禁止、しかもお雛さまの絵はがきも売っていないと、ちょっと期待外れでした。
年によって、飾り方を違えているのだそうです。
一枚だけ、こっそり撮らしていただいた写真です。
ミュージアムには、展示室と展示室を結ぶガラス張りの渡り廊下があり、その向こうに中庭があって、大きな木が生えていました。
渡り廊下の中ほどには案内板が設けてあり、その木は、徳川宗敬(むねよし)がサンフランシスコ条約締結のおりに、アメリカより持ち帰った松と書いてありました。
調べてみると、徳川宗敬(1897-1989、緑風会)は貴族院議員で、サンフランシスコ条約締結(1952年)の時の、六人の全権委員の一人でした。
では何故松の苗を持ち帰ったのかというと、彼は、議員であると同時に林学者でもあったようです。
水戸徳川家との関係は、水戸徳川12代の篤敬(あつよし)の子どもで、13代 圀順(くにゆき)の弟にあたるそうです。
手前に別の木が立っているので半分隠れていますが、渡り廊下の奥に見える二本がその松です。
中庭には松のほかに、徳川家康が植えたと言うミカンの木もあり、小さめの実が鈴生りでした。
木の足元は、クマザサの生えているところ以外は一面、足跡のない雪に覆われていましたが、わずかに建物の軒に近いところに雪がなくて、長い松の葉がたくさん落ちているのが、廊下から見えました。
ミュージアムの受けつけの女性に、中庭に入れるかどうか聞いてみると、そこは徳川さんの私邸になっていて、入れないとのことでした。
おりしも、松を見ていたとき中庭を見回っていた警備の男性が、ミュージアムの入口のあたりに出ていらっしゃいました。
声を掛け、一つでいいから松葉を拾って来て欲しいとお願いすると、快く引き受けてくださり、厳重な扉をもう一度開けて、中庭の方に入って行きました。
すぐ戻ると思って待っていたのですが、ちょっと時間がかかりました。と、戻っていらっしゃるのを見たら、彼の手の中には、落ちたばかりのまだ緑の枝先が、たくさんありました。
その松葉です。
そして枝先、ダイオウマツ(Pinus palustris)でしょうか?
葉の長さは30センチほどありました。
0 件のコメント:
コメントを投稿