2014年2月22日土曜日

数万年前の八郷を知る

住んでいる町のジオツアーがあり、参加しました。
地質や地形を学んで、ここ八郷がどんなに豊かな土地であるかを知る集いといったところでしょうか。

八郷の山はなだらかですが、それは山を形成する岩の裂け目に水が入ってどんどん崩壊して、石の山や土の山になっているからということでした。
このあたりの山は急峻ではなくなだらか、20度、ところによっては8度のところもあります。奈良京都の山に似ていますし、倉敷の山にも似ています。

関東以北でよく使う言葉、「やと=谷津」はアイヌ語のヤチュから来ていること、筑波山はアイヌ語で「尖った山」ということを、初めて知りました。
筑波山だけが山頂のあたりが岩山で、尖って残っているのです。


まず訪れたのは、我が家の近くの瓦塚です。瓦を焼く窯は山の腹を掘ってつくってありますが、それも岩山だったら掘れなかった、土山だからつくれました。


八郷盆地はその昔、八郷湾だったり、八郷湖だったこともあるというのも、とても興味深い話でした。
だから、田んぼの下に岩がなくて、八郷盆地を流れる恋瀬川は細い川であるにもかかわらず、両側に広い田んぼをつくることができたのだそうです。

そして、もともと豊かな土地だったからこそ、今でも変わることなく里山の風景を残していられるのだそうです。


さて、ジオツアーの最後は、八郷盆地を流れる恋瀬川が霞ヶ浦に注ぐ地点でした。


そのあたり、普通の土に、川から流れてきた小石が混じっています。
海だったり、湾の入り口だったり、波打ち際だったり、葦が生えて陸地が広がったり、埋め建てられたりと、その土地もいろいろな歴史を経て今の姿になっていたのです。


自然の営みが、埋め立てや護岸工事などによって失われ、葦原がなくなってしまったところも見ました。右が霞ヶ浦です。


そのあたりで拾った石。
以前涸沼で拾った石もそうでしたが、赤褐色の石が多く見られます。


右は、
「おい、ここは海だったんだってよ」
と言って、夫が拾ってくれた石です。



2 件のコメント:

Shige さんのコメント...

地元のジオツアーでしたか.良いものに参加されましたね。建物や表土に覆われた場所でも、大まかな地形図や、地形を見ることで、成り立ちがわかります。また切り通しや崖があればより理解が深まりますね。

自然観察の中で、虫、植物や鳥などはメジャーですが、地学は一番マイナーじゃないかな。

丸まった石ころだけを見ても、扁平礫の率で、かって海だったのか、河川敷だったのか分かりますしとても面白い分野なんですがね。(笑)

さんのコメント...

Shigeさん
このあたりも表土は富士山が爆発したとき飛んできた火山灰で覆われていますが、切り通したところには、だいだい色の30センチくらいの厚みの軽石層が見えます。それな赤城山爆発のとき飛んできたもので、鹿沼土だそうです。面白いですね。
あと、今回のジオツアーではないのですが、地質に関心を持っている人が言っていましたが、八郷盆地の半分は堆積岩でできていて、後の半分は火成岩でできていて、地形的に真っ二つに分かれていて、その間を川が流れているそうです。
恋瀬川は市内だけで完結している川なので、今回源流あたりから河口までいっきに見て、河口あたりに転がっている石も見て、とっても面白かったです。