散歩していて目に入るのは、いち早く、美しく色づいているヤマウルシの木です。
漆にかぶれる私にとっては、脅威以外の何ものでもないのですが、それでも紅葉が美しいと思います。
そして、この実。また、新しく芽吹いて、勢力範囲を広げようとしています。
E.S.モースが見た漆の蝋絞りの絵、『日本その日その日』(平凡社、東洋文庫)より |
漆の実は、油を搾ってろうそくにしました。また、鬢付け油にもしました。
日本人と漆は、切っても切れない関係にあったのです。
母の父、 つまり私の祖父はかぶれませんでしたが、母も私もかぶれます。
今年も春先に、草刈りをしていて樹液が跳ねたのか、知らない間にかぶれていて、ひと月ほど嫌な思いをしました。かぶれたところが熱を持つのです。
岐阜で漆教室を開いているMさんによれば、最初はかぶれても、慣れるものだそうです。でも、程度があるのではないかしら?
ウルシ科のマンゴーを食べ過ぎてもかぶれる私、これまでの人生で、かぶれたことは、たぶん30回を下らないと思います。
やっぱり、芽吹いているのを見つけたら、刈り取る以外ありません。
4 件のコメント:
かぶれる人は雨の日に通っただけで、
家内はお手玉のなかに入れたそうで音がいいですね。
東京では小豆でした。
昭和初期町中でも「蝋屋・膠屋」がありました。
昭ちゃん
漆の実をお手玉の中身にしたのですか!うぅぅぅ、いいですねぇ(涙)。
今、シャッターの閉まった商店街を見て、昔はよく「砂糖屋」だけで生きて行けたもんだと感心することがありますが、「蝋屋・膠屋」もすごいですね!
いい時代だったのかもしれません。
春姐さん印刷屋の隣や家で精米する米屋
私の友人の家みたいに接骨医院で柔道を教えたり
町工場ならモーターの音と全てが今なら問題ですよね。
生活の音や街の匂いも無くなりました。(笑い)
昭ちゃん
私も品川で育ちました。品川の宿の赤線のあったあたりから、大井町まで、ちまちましたお店や家内工場が並んで、いろんな匂いがしていました。
酒屋さんや和菓子屋さんは大富豪でしたね。子どもを私立高校にやれたのだもの(笑)。
クラスの半分は、中卒で働きはじめました。高校に行きたくても行けなかったあの子たちの人生は、どうだったのかなぁ。時折思い出すことがありますが、一度もクラス会をやっていません(笑)、完全な離散です。
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