2018年4月23日月曜日

都忘れ


ずっと前に母が運んできたミヤコワスレ、咲き始めが色が濃くて、一番素敵です。
 

本物の方がきれいな色ですが、なかなか色よく写せません。


「住めば都」とか、「都忘れ」とか、「都」の方がいいということが前提の言葉ですが、心底、「都市」ではない方がいいと思ってしまいます。








8 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

絶えましたが懐かしい花です。
東京から都落ちをして73年目
時々知らずに東京弁が出て笑われています
今朝も「ご飯をよそう」っと。
 閉山という転機がが無ければ18から定年まで
坑内で働いていましたね、
「知足安分」
の昭和一桁です。

さんのコメント...

昭ちゃん
てっきり東京弁で暮らしていらっしゃるのだと思っていました(^^♪
博多弁では、「ご飯をよそう」は何だろう?「ご飯をつける」かな?
高校生の時、東京育ちの同級生が階段の手すりに「さばる」と言ったのでびっくりしたことがありました。ご両親が岡山の人だったのでしょうね。その人はやはり東京生まれだけれど岡山に「地元」がある二世政治家と結婚しました。

都という言葉には限りなくいろいろな思いが詰まっていることも確かです。ばってん、はよ忘れた方がよかばい(笑)。

昭ちゃん さんのコメント...

儀父が田川の病院に入院時
交代で泊まりました。
夕食は街の飲み屋で、、、
ヤクザや姐さんたちと意気投合
本場の田川弁最高でした真似はできませんね、
アクセントが違うもん。

さんのコメント...

昭ちゃん
失礼しました。博多弁ではなくて、田川弁ですね。

物取りに散弾銃で撃たれて亡くなった友人の両親を訪ねて、田川の山の中に行ったことがありました。1980年のことです。そのとき、生まれて初めてボタ山を見ました。山の中で寂しいところでした。
母上は馬に乗って山の向こうからお嫁にいらしたとか、跡取り息子を亡くした父上は寂しくお酒ばかり飲んでまもなく亡くなられ、母上も亡くなられ、家はたぶん廃屋になったのでしょうね。

まぁ、いろんなことがあるけれど、楽しくやるバイ!あっ、使い方が違ったバイ(笑)。

昭ちゃん さんのコメント...

「都わすれず! !」
いまだにこんな夢を、、、、

 六本木の坂・市三坂の右側を下っています。
周りは全て昔の店が並び
坂を降り切ったところが我が家です。
 肉屋があるのであと一歩ですが毎回
ここで目が覚めます。
「アッ 夢か!!」
空襲で家がないからで、
いまだに引きずっている20%の未練ですよね。


さんのコメント...

昭ちゃん
忘れてください、忘れてください。都なんて、もうなくなっていますよ(笑)。
今あるのは高層の、金の亡者ばかりが見果てぬ夢を見ている、虚空間です(^^♪
昔は、都市にも人情や実がありましたが、失われてしまいました。もっとも、田舎にそれがあるってわけじゃないけれど(笑)。
その20%の未練を10%に減らして、いごっそう(これは田川じゃなくて薩摩か?)として生ききるバイ!

昭ちゃん さんのコメント...

春姐さん有難う全くその通りで
昔の幻影を追っているだけですからね。
ジャンコクトー監督の映画
「大いなる幻影」題名がピッタリもう
誰も居ないしねー

さんのコメント...

昭ちゃん
思うのは、でもいいと思います。都でなくても、「故郷は遠きにありて思ふもの」ですからね。
私なんか、生まれたのは横須賀ですが、両親が健在な時に、「一度連れてって」と言ったのに、連れて行ってくれませんでした。その前に二人で行ってみて、あまりの変わりように、元居た場所も思い出せず、すごすごと帰ってきたみたいでした。浦島太郎ですね(笑)。

まぁ、海を含めた日本丸ごとが故郷ですよ。「私の耳は貝の殻。海の響きを懐かしむ」ですね(^^♪