2014年12月30日火曜日

土師器(はじき)


Oくんの家の、ストーブの脇に壺が置いてありました。
畑でごぼうを掘っていたら、掘りあてたものだそうです。

ごぼうは、地中深く根を下ろします。そのため、かつてはごぼうを掘り上げるのはたいへんな作業でした。ごぼうの脇に1メートルくらいの深い溝を掘り、そこから崩していきました。
今では、トラクターを持っている人は、ごぼう掘りのアタッチメントを装着して、地中のごぼうの下に刃を入れて、折らないで掘り上げることができます。

Oくんはごぼうをユンボで掘っていました。
すると、
「がらがらっ」
と異常な音がしたので見ると、地中に、素焼の壺などがかたまって埋まっていたそうです。
「ごぼうを掘らなくちゃならないし、一つ一つ取り出す暇がなかったので、欠けが少なかったこれだけ拾って来た」
とのことでした。


もしかして、そのごぼう畑のあたりには、昔の窯場でもあったのでしょうか。


陶器は丸いからと言って、必ずしも轆轤(ろくろ)を使ってつくたものとは限りませんが、この壺は轆轤で挽いてあるようです。

轆轤の技術は古墳時代に、轆轤を使ってつくった須恵器(すえき)とともに、大陸からもたらされました。
須恵器は、窖窯(あながま)を使うことによって、焼成温度を1100度以上に上げることができ、還元焔焼成するため、硬くて丈夫な土器をつくることができました。
それに対して、もっと低い温度、800度から900度で焼成されたものを土師器(はじき)と呼びます。須恵器に比べると脆く、下に見られてきました。
土師器も、須恵器同様、平安時代まで盛んにつくられました。
その後は、釉薬をかけた陶磁器に押されて廃れていきましたが、「ほうろく」のように、今でもつくられている土師器もあります。


さて、あっちからもこっちからも、古代の石器や土器がざくざくと出てくる八郷は面白いところです。

日本の典型的な農山村は、山が迫っている急峻な土地にほんのわずかに開いた田んぼと畑があるものです。また、大平野は、近代になって大きな治水工事をして、やっと得られたものです。

しかし、大きな盆地である八郷には、水にも恵まれた広い耕地がその昔から悠々と広がり、その一部に、衣生活のための麻や綿を植えても、食生活を脅かすことがないほど、人々を十分養うことができました。山に囲まれているために、古来から自然災害をほとんど受けず、また地形から戦場になったことがなかったのも、八郷の豊かさを保ちました。
薪や生活に必要な木を得るための入り合い林のあるなしは、近代まで人々の死活問題でしたが、それも十分あり、山の一部を、屋根材のための萱場にすることもできました。

昔も今も豊かな土地の八郷。
そんな八郷で、かつてどんな生活が繰り広げられていたのでしょう?


Oくんの家の庭にしつらえた、露天五右衛門風呂です。


もちろん、室内にお風呂があるのですが、遊び心いっぱい。赤ちゃんと一緒に楽しんでいるのに違いありません。
昔の人たちも、形は違っても、同じような楽しい生活をしていたのでしょう。




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