2018年3月22日木曜日

ねじ釘


十年以上使ってきた工具入れが、そろそろ出番がなくなり、お役目終了です。
というわけで、分解しました。


ばらす前に、入れてあるものを片づけたのですが、その中に古めかしいねじ釘がありました。
何に使っていたものでしょう?
日本ではあまり見かけない太さのねじ釘ですから、ガーナにいたときにつくってもらったカーペンターベンチ(作業台)についていたものかもしれません。
インパクトドライバーができてから、頭がマイナスのねじ釘はめっきり減って(消えて)しまいました。


今使っているコースレッドの中から、同じ長さ38ミリのものを選んでみました。
全然太さが違います。

その昔はハンドドライバーでねじ釘を留めたので、長いねじはありませんでした。今ではインパクトドライバーがあるので、12センチ長さのねじは普通に売っていて、15センチのものまで、専門店に行けばあります。
こんな太いねじ釘なら、私だったら掌の皮をすりむいても、ねじ込むことはできなかったでしょう。





6 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

 いろいろな道具が消えていきましたね、
マイナスドライバーや釘抜きも。
 こんな名前で呼んでいました。
「柄つき螺(ら)廻し」ドライバーのことです。
「円把・えんぱ」ハンドルのことです。
勿論英語の使えない軍隊で、、、、。

さんのコメント...

昭ちゃん
ドライバーは、母など「ねじ回し」と呼んでいました。円把は知りませんでした。後から考えてみれば嫌な時代ですが、今がそうでないことを祈るばかりです。
ところで、海軍のカレーライスが有名ですが、海軍は英語を使ってよかったのかな?カレーはもともと英語ではないと言い逃れられるけれど、ライスはダメでしょう。「辛くて黄色いご飯」なんて(笑)。

昭ちゃん さんのコメント...

春姐さん陸・海軍どちらも張り合っていましたからね、
本当に英語が多いです。
イギリスでは日本語を習うのに奨学金を出していましたし
日本では敵性語ですから禁止です。

さんのコメント...

昭ちゃん
どう考えても、大戦中も英語をもっと勉強して英語のわかる人を増やすべきでしたね。情報が少なくては、敵を知ることもできませんでしたもの。
アメリカでは日本を知るためにルースベネディクトが太平洋戦争時に『菊と刀』を書き、ヴェトナム戦争のときには、大学に、『地域研究科』を設立して、東南アジア研究に力を入れています。
いずれにしても、お互いをよく知り、戦争の抑止力になって欲しいです。

昭ちゃん さんのコメント...

姐さんまたまた懐かしい本の名前を、
話題が広いなー
 私は仕事がら戦時中でも一般の人が知らない情報を
当時のソ連経由で入手していました。(まだ中立国)
 新聞記者に情報は流しますが記事に書けない鉄則があり
「オフレコ」と呼びます。
この制度は今でも、、、
 子供の笑顔と高齢者の元気を報道すれば
めでたし・めでたしです。
「私の独断と偏見です」 

さんのコメント...

昭ちゃん
日本はオフレコだけでなく、嘘が多すぎます(笑)。
まあ、処世術だとしても、政治家くらいは嘘のない、本音だけでやってもらいたいものです。とくに、命に係わる原発の報道などはね。