2010年6月30日水曜日
2010年6月29日火曜日
真竹の筍
私の住んでいる八郷盆地は、三方を山に囲まれています。盆地は単純な形ではなく、ひだひだになり、そのひだは深く、起伏に富み、複雑に入り組んでいます。
もう10年も住んでいるのに、まだ、通ったことのない道があります。そんな道を見つけて、時間があれば通ってみますが、まだまだ、全道踏破には程遠い状態のようです。思いがけないところに、道があり、集落があったりするのです。
整体師のKさんからの帰り、恋瀬川の河川敷で真竹の筍が採れるという話につられて、盆地の中では比較的大きな川又平野(と言うほどでもないか)に沿って、川に突き当たるところまで行ってみました。
確かに、にょきにょきと筍が伸びています。
真竹の筍は今が旬です。孟宗竹の筍と違って、あく抜きせず、すぐ食べられるのが、手軽なところで、昨日も、イカとにんにくと一緒に炒めて、食べたところでした。
突き当たりの家の前に停めて、車を降りてみますと、人影が見えました。いくら河川敷の筍とはいえ、余所者が折って持って行くのはいい気持ちがしないだろうと、筍は端からあきらめましたが、恋瀬川の水面を見ようと、しばらく、土手沿いに歩いて行ってみました。
真竹が途切れても、河川敷は丈の高い草で覆われていて、どこまで行っても水は見えそうにありません。しかたなく引き返すと、突き当たりの家のおばちゃんに会いました。
川を見たかった話をすると、「家の庭からなら見えるから」と、庭の中に案内してくれました。
おばちゃんの話では、大正時代まで、道路より川の方が重要な輸送網でした。川に面しているその家は、あたりの物資の輸送を一手に引き受けていて、舟で石岡へ、そして海へと運びました。そのため、屋号は、今でも「川岸屋」と言うそうです。
ちょっと、想像できないことでした。今では、川岸屋のあるところは村のはずれもはずれで、県道からは遠く、道は行き止まりで、村の人さえもあまり来ないようなところでしたから。
庭を進むと、川面が見えました。
裏山の土砂が崩れて(おじいさんが裏山の石を掘り出したからだそうです)、地形は当時とは変わっていて、川岸には降りられませんでしたが、数キロ上流では小川のような小さな恋瀬川が、川又では、すでに堂々とした川の風情すら漂わせていました。
おばちゃんは、手入れが行き届いてないと恥ずかしがっていましたが、素敵な庭で、一角では、自家消費用のしいたけも栽培していました。
筍は、帰ってから、近所のたけさんの竹藪からいただいてきました。
このあたり、筍を喜んで食べるのは、シーズン中一度くらい、あとは誰も採らないものだから、たけさんの竹薮にも、筍はわんさと生えていました。
明日は息子が泊まりに来るので、筍入りのタイカレーでもつくりましょうか。あるいは、筍入りの、クスクスでもつくりましょうか。
2010年6月28日月曜日
山椒の実
山椒に、実の生る木と、実の生らない木があるのを、知らないで、最初に植えたのは、実の生らない木でした。
「実山椒と言って買わなくっちゃ、だめだよ」
植木屋さんにそう言われ、普通の山椒より割高な、実山椒を買って植えたのは、3年ほど前のことです。
今年の春、もともとひょろひょろしていた実山椒の木が、芽を吹いたのに、気がついたら、跡形もなく消えてしまっていました。植えた場所が悪かったのでしょうか。それとも、イノシシか何かが、ぶつかって倒したのでしょうか。
がっかりしていたら、鳥が種を運んできて、コナラの下に勝手に生えていた山椒の一本に、実が生っているのを見つけました。
日陰ですから、たいした量ではありませんでしたが、収穫できるのは嬉しいことです。
なにをつくったら一番楽しめるか、今日は実をはずして水に浸して、明日茹でて、それからゆっくり考えようと思います。
初セミ
2010年6月27日日曜日
柑橘のピール
これ?拾ったみかんじゃありません。買ったみかんです。
みかんの皮は?最初から捨てるつもりはないので、拾いものと言えないでしょうね。
でも、通常は捨ててしまうものですから、拾いものにしてしまいましょう。
いつも、生協を通して買うみかんは、愛媛の無茶々園のみかんです。無茶々園は、みかんの無農薬、低農薬栽培の草分け的な存在です。
これは河内晩柑、今の季節のみかんですが、八朔、夏みかん、伊予柑、オレンジ、文旦、なんでもピールにできます。
この一年、いろいろ試してみましたが、このやり方が一番簡単で、失敗がありません。
まず、たわしでみかんを洗い、皮を六等分するように、包丁を入れます。
皮をむき、中身は、冷蔵庫に入れておいて、順次、いただきます。
皮は長さを半分に切って適当に細切りにして、目方を計ります。つくりやすいのは、大きいみかんで3個、500グラムくらい、欲張ってたくさんつくると、煮るのも、乾かすために並べるのも、大変です。
一晩水に浸しておきます。柔らかくなり、味がしみ易くなります。
鍋に、皮の重さの80%の水、80%の砂糖を入れて煮溶かして、みかんの皮を入れます。砂糖は、ざら目でもなんでもかまいません。火は中火、途中落し蓋をしたりして、白い部分が透き通るまで煮ます。
透き通ってきたら、ちょっと火を強め、焦げつかないように、ときどきかき混ぜながら、水分を飛ばします。
ここまで、20分から、30分でしょうか。
水分がなくなったら、火を止めます。
煮上がった皮を、ちょっと冷ましてから(手で持つと熱いので)、笊などに並べて乾かします。
煮方によって乾き方が違いますので、表面が乾いた感じになるまで、一日から四日くらい、乾燥させます。
乾いたら、グラニュー糖をまぶして、もう一度乾かします。
もし、しっかり乾いてなかったら、グラニュー糖は溶けてしまいますので、そんなときはさらに乾かしてから、もう一度まぶなおします。
グラニュー糖が溶けないようだったら、完成です。
ビンなどに入れて保存します。おやつだけでなく、ちょっとほろ苦いので、ビールにもよくあいます。
2010年6月26日土曜日
エンジュ
近所のSさんがくださるというヒノキを、製材所に見に行きました。手前の赤い紐のかけてあるものがそうです。なかなかみごとなヒノキでした。
Sさんは、家の修理で柱材を数本と板が10枚ほど欲しいので、人を頼んで、山のヒノキを切り倒してもらったそうです。少ししか使わないけれど、多目に切ってもらって、残りは切った人にあげると言ったら、いらないと断られたということで、我が家にお鉢がまわってきました。
棚からぼたもちとはこのことですが、夫は最初、「面倒だし、労力はいるし」と、とても消極的でした。たしかに、材木屋さんから必要なだけ材を買ってくるのが、一番簡単です。
私たちは、地産地消を目指していますし、できるだけ自給的な生活をしようと心がけているのですが、現実はなかなか甘くありません。
製材屋さんに、エンジュの切れ端が捨ててありました。切れ端ですから、ゴミにしかならないようなものばかり、しかも、虫くんが、まだ腐った皮の中に潜んでいます。
それでも、太そうなところを、断って、拾ってきてしまいました。
皮さえむけば、虫はそれ以上、穴を掘ったりしません。手をかけてまで、汚い切れ端を欲しがる理由は、
この美しい木目にあります。お皿や匙などつくる時間はありませんが、板としてなにかに使えそうです。
それにしても、厚みの一定でない切れ端から、どうやって板をとりましょう。
「このさい、バンドソーを買うか」と、夫。
「えっ、拾ってきた木っ端のために?」、「どうせ、Sさんからもらうヒノキも、ただ縦引きしてくれるだけだから、厚さも幅もまちまちだろうが。バンドソーも、あればなにかと役に立つよ」。
まあ、バンドソーは値段が張るといっても、大工さんを一週間頼んだら、手間賃として消えるほどの予算で買えますし、縦引きができれば、そこいらの杉をばったばったと倒して板に加工ができますから、便利ではありましょう。
「ただほど高いものはない」と、よく言いますが、やっぱり高くついたようです。
2010年6月25日金曜日
アジサイ
珍しく、夫が「アジサイは挿し木できるのかなあ?」と聞きます。「どうして?」、「もっと植えたいと思って」。我が家のアジサイがゆきえさんの家から来た挿し木だということは、すっかり忘れているようです。
というわけで、挿し木しました。
いつもは、地面をちょっと掘り返して挿すだけ、活着率もたいしてよくないのですが、今回、ちょっと気合を入れました。育苗ポットに挿して、受け皿のステンレスのお盆には、水を張りました。
ついでに、剪定したハナイカダと七段花の枝も挿しました。
我が家には、改良種のアジサイは一種類しかありませんが、今が盛りです。
そうだ、改良種のアジサイはもう一種類ありました。
昨年挿し木に成功して、今春、葉が数枚出たのに、なぜか枯れてしまった「墨田の花火」は、ネットでやっと手に入れたものです。
七段花はもう終わりそう、花がすでに半分くらい裏を見せています。
Mさんから、真鶴に輿入れした七段花が、ピンクの花をつけたという便りがありました。
海風のせい?、それとも土壌のせい?びっくりしました。
2010年6月24日木曜日
ライチー
昨年の暮れに、友人から、「一緒にバティクを習わない?」と誘われました。
友人の友人の友人に、インドネシアでバティクを習った人がいて、将来、バティク教室を開く予行練習に、教えてみたいという話でした。また、その人は近々、再度学校に入るためにインドネシアに行くので、レッスンは短期で、ということでした。
「私、やったことないんだけど」
「私だってやったことないよ。大丈夫みたいよ」
本格的な教室ではないし、先生の方が教えてみたいので、謝礼も格安と聞き、バティクの好きな私は、参加してみることにしました。
一月の終わりに、初めて集まりました。
生徒は、私以外は陶器づくりで生業をたてている女性ばかり3人で、S先生を入れて5人、わいわい、がやがやとはじまりました。
最初は、S先生の持っているバティクを見せていただいたり、お話を聞いたりということもありましたが、お茶のあとはお昼、お昼のあとはお茶と、おしゃべりばかりして、蝋置きはその合間にちょっとしかできない感じでした。
バティク(ジャワ更紗)は、布に蝋で模様を描き、それを染めることを繰り返してつくります。私も持っている、チャンティという銅でできた筒描きの道具に、温めて溶かした蝋を入れて、布に描いていきます。
1メートル×2メートルの布で、手の込んだものは、完成までに1年もかかるそうです。
月に一度のレッスンですが、三回目くらいでしょうか、手慣らしにつくったエコバッグが完成しました。
「次は、これ」、と先生が持ってきてくださったのは、風呂敷よりちょっと小さめの布に、伝統的な模様を描くものでした。
全体の半分はS先生が下絵を描いてくださって、あと半分は、自分の好きな模様にします。また、下絵があるところも、蝋の置き方で、まったく違った模様になるので、伝統的な模様を習いながら、独創性を出す楽しみも味わえるという、楽しい企画でした。
そのころから、お昼を持ち寄るのは負担が大きいので、午後だけのレッスンに変更しました。
朝からやってさえ進まないのに、午後だけで大丈夫かしらと危惧しましたが、回を追うごとにみんなの熱の入れ方が違ってきて、最近では、お茶の時間も惜しんでいるくらいになりました。おもしろさが、少しわかってきたのでしょう。
暖かくなったので、蝋の乗りもよくなり、みんなで黙って、チャンティを走らせています。
そんな、バティクのレッスンで、おやつにライチー(Litchi chinensis)を持参した人がいました。
以前は、害虫防除の目的で、ライチーやマンゴスティンは冷凍でなくては持ち込めなかったように記憶していますが、今では検疫方法が進んで、生のものでも大丈夫になったのでしょうか?メキシコ産でした。
みんなの食べた種もいただいてきました。気候がいいので、植えてみようと思ったのです。
早速、ちょっとだけ頭を出した状態で、植えてみました。左の大きいポットのものは、根の出たアボカドです。先生がインドネシアに旅立つころまでには、芽が出るでしょうか?
2010年6月23日水曜日
桑の実
桑の実が実る季節になりました。
我が家の桑の木は、道路の拡張工事のために引っこ抜いて捨ててあった木を拾ってきたものです。
このあたりには、大きな家がたくさんあります。みんな地主じゃなかろうか、と思われるような家が並んでいるところもあって、豊かになった背景には、なにがあったのだろうと、想像をかきたてられます。
昔から、水田が豊かで、食べるには事欠かなかったようですが、明治のころ、養蚕でずいぶん潤い、萱葺き屋根の家々はそのころ、瓦葺の御殿のような家にと、建て替えられたようです。
今では、もちろん養蚕はすっかり廃れているのですが、桑の木はどこにでも生えています。養蚕をしていた当時の名残でしょう、切り忘れられたり、生垣代わりに、敷地境界線だけに残されて刈り込まれたりしていて、みずみずしい、柔らかい色の葉っぱをつけています。
つい最近まで、桑畑も一ヶ所ありましたが、姿を消してしまいました。
我が家の桑の木は、もとは道沿いに生垣として残っていたものでした。道路工事がはじまってすぐ、地主さんに話し、工事している人にお願いしておいて、掘ったときにいただいてきたものです。
刈り込んであったので、丈は低かったのですが、幹は太く、根は大きくて長く、やっとのことで4、5本植えたでしょうか。いまではすっかり大木になっています。
ところが、植える場所がなかったので、敷地の隅っこ、ごちゃごちゃと、資材置き場や、他の木を植えてある後ろに植えたので、実が熟しても採れません。
ふつう、ゆさゆさと木を揺すると、ぱらっと落ちて、それを拾えばいいのですが、足元が立て込んでいて、拾えません。それではと一粒一粒採っていると、ぱらぱら勝手に落ちたりして、もうお手上げです。
写真の、前は柚子とふくれみかん、左はビワ、桑の下は仮設資材置き場の屋根、後ろはちよさんの畑の桐といった混みようです。
やっと1本から少しだけ実が採れました。ジャムなんて、夢の夢です。
2010年6月21日月曜日
小春からのプレゼント
山で切ったヒノキをあげると言われて、Sさんの家に打ち合わせに行きました。
以前、松を20本ほどいただいたことがありました。居間のテラスの梁は、全部そのときの松でできています。
松は、チェーンソーを使って夫が切りましたが、山からの運び出しには、ユンボを頼みました。また、山のふもとから製材所までは、ユニックを頼んで、運んでもらいました。
製材された木は、また我が家までユニックで運んでもらい、長い間積んで乾かしたりして、それなりに手間もお金もかかりました。そのため、夫はヒノキをいただくことにちょっと消極的でした。材木屋さんから買ってくれば手間も要らないし、経費もたいして変わりません。
でも、Sさんの話では、ヒノキはもう製材所で引いてもらっているところで、Sさんが使う以外のものは全部あげる、運び賃もいらないというのです。
ありがたく、いただくことにしました。
打ち合わせが終わり、春に、Sさんの親戚のYさんからいただいたサギゴケが、我が家の庭で元気に広がっている話をしましたら、
被覆植物としてははフッキソウもいいからと、庭から掘っていただきました。
ついでに持ってけと、カラーもいただきました。
カラーは、どこに植えようかと考え、事故死した犬、小春のお墓の横に植えることにしました。
お墓のまわりにはハナニラが植えてあります。秋に芽を出し、春には可憐は花をつけますが、今の時期には、もう跡形もなく消えてしまっています。
お墓の左側を掘っていましたら、陶片が出てきました。
土を払ってみると、縄文土器でした。
今、作業棟の基礎工事をしているので、たくさん土を動かしています。それとなくさがしてもみていたのですが、土器らしいものはまったく見つかっていません。それが、小春のお墓の横から出てくるとは...。
素敵な、夏至のプレゼントでした。
2010年6月19日土曜日
2010年6月18日金曜日
2010年6月17日木曜日
まゆみさんの拾いもの
最近、ときおり聞きなれない犬の鳴き声が聞こえることがあって、そのたびに、我が家の犬どもに緊張が走っていました。
昨日、夫が、「ちよさんちでは、捨て犬を拾ったらしい」というので、見に行ってきました。
いました。一歳前後と見られる、中型犬が2匹。
数日前、山の方で悲しそうに鳴いていたので、ちよさんの孫のまゆみさんが放っておけなくて、拾いに行って来たのだそうです。
ちよさんの家には、大型犬一匹と、小型犬一匹がいます。あっというまに倍増です。
私は小さいときに、川のほとりに住んでいました。自転車の後ろの籠に入れて、遠くからも生まれたばかりの犬猫を川に投げ捨てる人がやってくるのを、見て育ちました。そんな時代もあったのです。
そのためか、自分で捨てるつもりはありませんが、目も開かない犬猫を捨てることがあり得ることは理解できます。しかし、大きく育って、物心ついた犬猫を捨てる気持ちというのは、どうしてもわかりません。昨日まで家族だったのに、どうして捨てられるのでしょう。
実は、私も山の中で、捨て犬に出会ったことが二度ありました。二度とも、ちょっと大きな子犬が三匹ずつ、不安そうに、車を少し追いかけてきました。
しかし、家に三匹の犬と一匹の猫がいるのに、なにができるでしょう。目をつぶって、二度とも拾いませんでした。
まゆみさんは、獣医さんに電話して、とりあえずフィラリアの検査をするそうです。えらい!。
もらってくれる人が見つかるといいのですが。
そういえば、私の弟夫婦も、弟の連れ合いの弟夫婦も、姪夫婦も、捨て犬の里親をしています。どれも、かわいいい犬たちです。
というわけで、ちよさんの家の入り口には、新しい看板が立てられました。
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