2011年12月31日土曜日
2011年12月29日木曜日
瓦は語る(語らない)
先日、友人Kが来たとき、近くの瓦塚に寄ってみました。
以前拾ってきた瓦のほとんどは返したのですが、また拾ってきてしまいました。今回は布目がはっきりとついている瓦だけ拾いました。
何故布目がついているか?
瓦を成形するとき、あとではがしやすいように布を広げて、その上に伸ばしてつくったと思われますが、八世紀では、布は今では考えられないほど貴重なものであったはずです。
以前、布はカラムシだったかもしれないと書きましたが、カラムシは上布にもしますので、もっと荒い、水に浸すと強くなるという、シナノキの布だった可能性の方が高そうです。
それにしても瓦をたくさんつくるのには、大量の布が必要だったと思われます。
この瓦は、焼くとき煙があたったのか、一部窯変しています。まるで上薬をかけたかのように、きらきら光っています。
それにしても布目の裏側はどうして、引っかいて線をつけているのでしょうか?
瓦はつるつるでも汚れやすいものです。
この引っかき模様は、よく見ると単純な縞ではありません。
やはり布目がついていたものを、引っかいたのでしょうか?
一片の瓦が、いろいろなことを想像させてくれます。
2011年12月28日水曜日
小さい羽根
八郷の町の温泉に併設している農産物直売所に、注連縄を買いに行きました。毎年、ここの注連縄を飾っています。
「ついでに、温泉に入っていこうか?」
「そうしようか」
最近は、ずいぶん温泉に縁のある生活をしています。寒いからでしょうか。年取ったからでしょうか。
地下千五百メートルから掘り上げている温泉ですが、ジャグジー、打たせ湯、サウナ、源泉(沸かしていない温泉)、露天風呂といろいろあります。
露天風呂に入っていたら、水面に何かただよっています。種のようです。
露天風呂は高台にあり、見回しても近くには、大きな木はありません。わずかに、剪定された低いカエデと、萩の群生が見えます。
あっ、もう一つありました。夏から秋に白い花を咲かせる生垣の植物が。
もっと浮いていないかしら。
「おや、もう一つ浮かんでいる」
拾ってみたら、二つ目はなんだ、水死したガガンボでした。
なくさないように、しっかりつまんで、温泉からあがって、脱衣場でメガネをかけて見ました。
なかなかかわいい種です。
「なんだろう」
家に帰って、『たねのずかん』(福音館書店)を広げて見ます。
載っていません。
でも、白い花の生垣の木が気になります。
『樹木図鑑』で調べたら、白い花は、ハナゾノツクバネウツギという名前でした。実の写真はありませんでしたが、名前からして、この木の実に違いありません。
ハナゾノツクバネウツギ(Abelia grandiflora)は、シナツクバネウツギとユニフローラの交配種だそうです。
街路樹の下の生垣としてよく植えられていますが、なんとなく印象が硬くて、そんなに好きな木ではありませんでした。
長さ5ミリほどの小さい種です。
「かわいいなあ」
2011年12月27日火曜日
2011年12月26日月曜日
キササゲ
家の近くの農家の果樹が植えてある場所で、キササゲ(Catalpa ovata)を見つけました。
Shigeさんのブログを見ていなかったら、見過ごすところでした。
今、植物のこと、教えてくれる「隣人」はいませんが、「離れている人たち」に教えられるのは、ネット社会だからこそのことです。
タイにかかわっていたころは、植物を知るのによい「隣人」がいました。何でも教えてくれました。
1976年、政府に容認された右翼集団の弾圧を恐れた学生運動家たちは、共産党に合流して森に入り、地下運動に転じました。半ばで森から出てきた人たちもいましたが、多くは1981年に、不問にするので出てくるようにとの政府の呼びかけがあるまで、五年間森で暮らしました。数千人だったと記憶しています。
タイはよい国です。出てきた青年たちは、学者、芸術家、政治家などとして社会復帰しました。とくにNGOに参加したり、設立したりして、底辺の人々のために働いた人が多数いました。
私の「隣人」である元同僚は、そんな一人でした。しかも、森に潜んでいるとき、食料調達係りだったので、何が食べられて、何が食べられないか、死活問題として知る必要があったそうでした。
彼と森へ行くと、植物を見ては、
「キン・ダイ(食べられる)」
あるいは、
「キン・メダイ(食べられる)」
と、いつまでもつぶやき続けていました。
また、農村の「ただの人」もよき師でした。
薬草や薬木を集めてサウナをしたとき、近隣で採集した薬草・薬木は100種を超えました。
サウナの気持ちよかったこと。
サロンを巻いて、みんなでサウナ小屋に入り、下から薬草・薬木だけでいぶします。そして、暑さに耐え切れなくて外に出ると、熱い薬草茶が待っていました。
話が逸れました。
キササゲの実はすっかり乾燥して、微風に揺れていました。
もとは畑だったらしい、屋敷の前の空き地に生えていました。植えたものではなさそうですが、どこから種が飛んできたのでしょうか。
その家の裏はもう山です。
キササゲは中国原産ですが、中国では庭に植えたりしている木を除いて、野山に生えているものはほとんどなくなり、反対に日本では栽培していたものが野生化しているとか、日本の気候にあっているようです。
朝起きてみたら、置いておいた椅子の上から床に落ちて、種子が散乱していました。
種は飛ぶだけではなく、人の衣服や、動物について運ばれる可能性もありそうです。
散乱していた種を、菓子鉢に収容しましたが、
「フィルムの空き容器があれば、入れるのにぴったりだけど」
と、空き容器が溢れていた日々を、懐かしく思い出しました。
2011年12月25日日曜日
椿
2011年12月23日金曜日
平潟の砂岩
昨日は五浦(いずら)に行きました。
五浦に行くといつも降りてみる、岡倉天心の六角堂のある浜は、立ち入り禁止でした。六角堂は津波にさらわれてしまいました。
海を見て、浜に行かないのもと思い、五浦から福島県平潟に抜ける道の脇に、小さな砂浜があったので降りてみました。
浜には、どこも津波の爪あとがまだ残っています。
遠目には、砂だけに見える浜には、軽い、軽い砂岩の石ころが転がっていました。
もろい石のようで、すでに縞模様に沿って割れている石もあれば、
砂に返ろうとしている石もありました。
見回すと、どうやらこのあたりの崖が堆積岩でできているようで、それが波や風に洗われて削れ、小石になり、砂になっているようでした。
それにしても美しい石たちでした。
縞模様がはっきりして、形が丸く、色もいろいろでした。
ただ、残念なことにもろい。
持って帰っただけで割れたり、
丁寧に洗って乾かしておいたのに、今朝見たら割れていた石もありました。
この石を選んだ穿孔貝は、柔らかくて、楽すぎて、拍子抜けだったかもしれません。
浜には、なぜか石そっくりの木切れとか、発泡スチロールの浮きの破片(拾いませんでした)とかが落ちていました。
プラスティックの浮きは、さすがに石のふりをすることができなかったようでした。
2011年12月22日木曜日
豆
kuskusさんから、『エプタ』という冊子の、豆特集号をいただきました。
南禅寺の門前の湯豆腐屋さん(豆コレクター)のお話を中心に、いろいろな豆が紹介されています。
それにしてもよく集めたもの。
シロゴチョウ(Sesbania grandiflora)、アメリカネム(Samanea saman)、ネジレフサマメ(Parkia speciosa)、ヤムビーン(Pachyrhizus erosus)などは、食べたりしゃぶったりする豆(や根)でしかなくて、とっておくなんて、考えてもみませんでした。
モダマももちろん載っています。
左の方に大きなソラマメが見えていますが、えんどう豆やソラマメも、大きさも色もさまざまです。集めておけば、楽しかったでしょうね。
莢もいろいろ。
「これで豆か?」
という莢もあります。
これは、食べるときに少しずつ残しておいた、日本の豆です。
上段左から、黒豆、うずら豆、紅絞り豆。
中段左から、手亡豆、大正金時豆。
下段左から、虎豆、鞍掛豆、大福豆。
日本の豆を、売るためではなく、食べるために残したのは、たぶん女性だったのではないでしょうか。
どれも美しいけれど、紅絞り豆はとくに美しい豆です。
世界には、マメ科植物は、13,000種以上あると言われています。
イネ科についで多いのですが、大木、一年草の草、蔓とさまざまな形をしている多様性は、イネ科の比ではありません。
荒地に、まず生えて、土を豊かにしようとするマメ科植物もいっぱいあります。
養っているという意味で、土を豊かにしているという意味で、もし豆がなかったら、人類もいなかったでしょう。
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