2017年9月10日日曜日
緑色!
おやっ、カメムシかと思ったら、蜘蛛でした。
蜘蛛は、太いの細いのいろいろいるけれど、名前がわかるのは、これから冬にかけて巣を張るジョロウグモくらい、特に室内にいるお歴々には、ときおり邪魔にして、掃除機を見舞ったりしています。
このクリスマスツリーにぶら下げる靴下みたいなのは、巣かな?
ざっくり調べてみたけれど、彼女の正体は、暴けませんでした。
2017年9月9日土曜日
2017年9月7日木曜日
2017年9月6日水曜日
石は、ほとんど見ませんでした。
海に行ったとき、拾ったものたちです。
胡桃は、半分にスパッと割れたのが、たくさんありました。
でも、リスが齧ったのや、ネズミが齧ったのは、見つけることができませんでした。
きれいな、黄色の浮きは、色に惹かれて拾ってきたのだけれど、色がちっともきれいに写せません。
直径30センチ、カエル浮きと並べてみました。
この石は、限りなく正円に近い石です。
これまで、丸い石をいろいろ見ましたが、直径が48ミリもあって、ここまで丸い石は、あまり見たことがないなと思いました。
扁平ですから、川で揉まれた石ではなく、海で寄せては返して、何度も揉まれた石です。
いったい、海岸に何千年いたのか、何万年いたのか、気が遠くなるほど、寄せては返したのでしょう。
滝浜は、赤丸をつけたあたりです。
胡桃や葦の根は、川から来たもの、近くには川はありませんが、どこの川から来たものでしょう?ひたちなか市と大洗町の境にそそぐ那珂川、鹿島市と神栖市の境にそそいでいる、霞ケ浦や北浦から流れてくる川、あるいは、茨城県と千葉県の県境の利根川、そのあたりから流れて来て、打ち上げられたものなのでしょう。
2017年9月5日火曜日
『浜辺のたからさがし』
ときおり、北海道ののらさんが、図書館放出の本が欲しいかどうか、訊いてくれます。
「欲しい、欲しい」
私の欲しがりそうな本を訊いてくれるので、すでに持っている本以外、たいてい欲しくなってしまいます。
『たくさんのふしぎー浜辺のたからさがし』(浜口哲一文、松岡達英絵、福音館書店、1993年4月号)は、もう四半世紀近く前の本、私がビーチコーミングという言葉も知らない頃、出版されたものです。
いつも思うことですが、『たくさんのふしぎ』はページ数も多く、子どもを対象に書かれたものであるにもかかわらず、大人にも読みごたえ、見ごたえがあります。
絵は、大好きな松岡達英さんです。
クイズのページもありました。
実際に自分の目で見たことのある馴染みのあるものも、馴染みのないものがありますが、Shigeさんやhiyocoさんのブログに出てくるものばかりなので、ほとんど、なにものかわかります。
日曜日に海に行って、砂茶碗を見ましたが、一番下の絵の、ヨシの根、普通だったら何の関心も寄せず見過ごしますが、
「あぁ、川から流れてきたんだ。どこの川だろう?」
と興味深く見ました。
「今年も青いものが来た!」
と、ビーチコーマーの皆さんが毎年興奮する、カツオノエボシ、ルリガイ、ギンカクラゲなどが、どうやって波間を漂い、どうして打ち上げられてしまうのか、とてもわかりやすい、素敵な絵です。
作者の浜口哲一さん(1947-2010、執筆当時は、平塚市博物館学芸員。のちに博物館長)は、おもには神奈川県平塚市の浜で、観察をされていました。
そんな浜口さんが屋久島に行かれて、サンゴの浜に見とれる間もなく、拾い集められた、熱帯、亜熱帯の種子たち、その興奮が伝わってきました。
「欲しい、欲しい」
私の欲しがりそうな本を訊いてくれるので、すでに持っている本以外、たいてい欲しくなってしまいます。
『たくさんのふしぎー浜辺のたからさがし』(浜口哲一文、松岡達英絵、福音館書店、1993年4月号)は、もう四半世紀近く前の本、私がビーチコーミングという言葉も知らない頃、出版されたものです。
いつも思うことですが、『たくさんのふしぎ』はページ数も多く、子どもを対象に書かれたものであるにもかかわらず、大人にも読みごたえ、見ごたえがあります。
クイズのページもありました。
実際に自分の目で見たことのある馴染みのあるものも、馴染みのないものがありますが、Shigeさんやhiyocoさんのブログに出てくるものばかりなので、ほとんど、なにものかわかります。
日曜日に海に行って、砂茶碗を見ましたが、一番下の絵の、ヨシの根、普通だったら何の関心も寄せず見過ごしますが、
「あぁ、川から流れてきたんだ。どこの川だろう?」
と興味深く見ました。
「今年も青いものが来た!」
と、ビーチコーマーの皆さんが毎年興奮する、カツオノエボシ、ルリガイ、ギンカクラゲなどが、どうやって波間を漂い、どうして打ち上げられてしまうのか、とてもわかりやすい、素敵な絵です。
作者の浜口哲一さん(1947-2010、執筆当時は、平塚市博物館学芸員。のちに博物館長)は、おもには神奈川県平塚市の浜で、観察をされていました。
そんな浜口さんが屋久島に行かれて、サンゴの浜に見とれる間もなく、拾い集められた、熱帯、亜熱帯の種子たち、その興奮が伝わってきました。
2017年9月4日月曜日
海へ
日曜日の午後、しかもわりと遅く、思い立って海に行きました。
我が家から、とにかく東へと行けば、海に行き当たります。もっとも、島国ですから、東西南北どちらに行っても、海には行き当たりますが、東へは、車で一時間というところです。
行きついた海岸は滝浜でした。
滝浜の北にある大洗から、南の波崎あたりまでは、90キロ以上の、ほぼまっすぐな砂浜の海岸が続いています。
あまりまっすぐなので、浸食を防ぐために、一定間隔で、錨形の人口岬(ヘッドランド)がつくってあります。しゃがんでいる私の向こうに見えているのが、そのヘッドランドの一つです。
浜には、あちこちにたくさんの砂茶碗、ツメタガイの卵塊がありました。
丸いのはなくて、どれも欠けたものばかりでした。
Shigeさんやhiyocoさんのブログで知っていましたが、実際に見たのは、たぶん初めてでした。
もう少し早く来れば、丸いものが見られたのでしょうか?
砂茶碗は百以上見ました。
九月にはなったばかり、晴れた休日だというのに、浜には誰も、サーファーさえいませんでした。
砂浜は遠浅すぎるし、ヘッドランドの周りは潮の流れが急で危険だしと、もしかしたら、海水浴シーズン中にも、人出がなかったのかもしれません。
というのも、プラスティックのゴミだらけで、夏の間掃除していたとは思えません。「もしかして、六年前の津波が来たときのまま?」と思われるほど、大きな浮きや流木がたまっている場所もありました。
赤いおもちゃのスコップと、イカの甲。
大きな赤い電球がいくつか。
ガラス浮きだったら素敵だったのに。
大洗から北の、海辺の生物が賑やかな入り組んだ海岸とは大違いで、生きているものの気配がほとんど感じられませんでした。
種子はどんぐりやくるみぐらい、エボシガイがついた浮きもありました。
この大きな木の根っこは、前にも行けず、後ろにも引けず、波に洗われていました。
我が家から、とにかく東へと行けば、海に行き当たります。もっとも、島国ですから、東西南北どちらに行っても、海には行き当たりますが、東へは、車で一時間というところです。
行きついた海岸は滝浜でした。
滝浜の北にある大洗から、南の波崎あたりまでは、90キロ以上の、ほぼまっすぐな砂浜の海岸が続いています。
あまりまっすぐなので、浸食を防ぐために、一定間隔で、錨形の人口岬(ヘッドランド)がつくってあります。しゃがんでいる私の向こうに見えているのが、そのヘッドランドの一つです。
浜には、あちこちにたくさんの砂茶碗、ツメタガイの卵塊がありました。
丸いのはなくて、どれも欠けたものばかりでした。
Shigeさんやhiyocoさんのブログで知っていましたが、実際に見たのは、たぶん初めてでした。
もう少し早く来れば、丸いものが見られたのでしょうか?
砂茶碗は百以上見ました。
九月にはなったばかり、晴れた休日だというのに、浜には誰も、サーファーさえいませんでした。
砂浜は遠浅すぎるし、ヘッドランドの周りは潮の流れが急で危険だしと、もしかしたら、海水浴シーズン中にも、人出がなかったのかもしれません。
というのも、プラスティックのゴミだらけで、夏の間掃除していたとは思えません。「もしかして、六年前の津波が来たときのまま?」と思われるほど、大きな浮きや流木がたまっている場所もありました。
赤いおもちゃのスコップと、イカの甲。
大きな赤い電球がいくつか。
ガラス浮きだったら素敵だったのに。
大洗から北の、海辺の生物が賑やかな入り組んだ海岸とは大違いで、生きているものの気配がほとんど感じられませんでした。
種子はどんぐりやくるみぐらい、エボシガイがついた浮きもありました。
この大きな木の根っこは、前にも行けず、後ろにも引けず、波に洗われていました。
2017年9月3日日曜日
移植で、正解!
ツルボがまあまあ、咲きました。
この調子だと、来年はポットからあふれんばかりに、びっしりと咲き誇ることも、夢じゃなさそうです。
いつも湿っている、つくばいのわきから、移植してよかった!
湿ったところでは、何年も増えず、やっと命をつないでいるといった風情でした。
おや、トノサマバッタがじっとしています。
脚が一つ取れてしまっています。
同じ日に見かけたナナフシも、後ろ右脚が一本なくなっています。
彼らは、いったい、どんな目にあったのでしょう?
今を盛りのツルボの花は、豪華です。
この種から、どのくらい芽が出るでしょう?
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