2010年2月19日金曜日
ラッタナキリの竹
拾いものではなく、どちらももらいものです。
上は、お正月の餅花飾りをするために、近所のたけさんにいただいた真竹ですが、下は、カンボジアの最北端の県、ラッタナキリの村で、以前いただいた竹です。ラッタナキリの竹は、真竹と比べると、節の間隔がずっと離れていることがわかります。節から節まで、91センチもあります。
東南アジアは竹の宝庫です。株立ちの竹を見たときは驚きました。身が中まで詰まっていて、空洞のない竹を見たときも驚きました。逆に、サラワクの熱帯林で、太い空洞の中に水を蓄えていて、喉が渇いたらいつでも切って飲める竹にも驚きました。しかし、ラッタナキリの、節の間隔が長い竹にも、びっくりしてしまいました。
この村は、戸数の少ない、森の中の村でしたが、どの家(というより小屋)の入り口にもこの竹が、5~10本立てかけてありました。写真のものは両端に節がついていますが、村のものは片方だけ節を残しています。立てかけてある竹の中をのぞくと、水が入っていました。
見ていると、水浴びしたり洗濯したりしに、近くの渓流に行くとき、家の人は空いている竹を一本ずつかついで出かけます。そして水を汲んできて、また入り口のところに立てかけておきます。竹一本分の水だと、お年寄りでも、小さな子どもでも、楽々かついで帰れます。帰ってから貯水タンクに移す必要もありませんし、竹は毎回渓流で洗えるので、清潔です。そのシステムには、感心してしまいました。
ラッタナキリの他の村で、竹ではなく、たくさんのひょうたんに水を入れて、蓄えていました。
私がひょうたんを欲しがると、おじさんは少し渋りました。けっきょく、くれることになりましたが、おじさんは念を押しました。
「いいか。絶対にひょうたんを空にしておいてはいけないよ。いつも、必ず水を満たしておくんだよ」。
たぶん、空にしておいたひょうたんにカビが発生して、次に水を入れて飲んだときに、カビのせいでお腹をこわしたり、もしかしたら小さな子どもが命を落としたりしたことがあったのかもしれません。管理上の難しさから、おじさんはひょうたんをくれるのを渋っていたのでした。
ラッタナキリは広いのに、一人のお医者もいない県です。村では、お産で母子ともに命を落とすことは多く、子どもが5歳以上に育つのも、なかなか難しいことなのです。私はラッタナキリは数度しか訪問したことはありませんが、悲しいことに、行くたびにお葬式に遭遇しました。
左の、模様の彫ってあるひょうたんは、私より以前にラッタナキリを訪れた友人からプレゼントされたものです。市場で買ったものだそうです。
これはひょうたんの蓋です。木の葉でできているのですが、なんて素敵な蓋でしょう。蓋だけ見ても惚れ惚れしてしまいます。
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2 件のコメント:
こんばんは。
春さんが東南アジア方面に行かれていたのはお仕事ですか?
ボランティア系なのでしょうか。
瓢箪のくだり、ちょっと考えてしまいました。
子供が命を落とす、というのは
今の私にはもっとも真剣に考えてしまう事例です。
ニュースで見知るより、ずんと来ました。
私のようなものが、
「わーかわいい」とお気軽にいうには、
ちょっと深い現実なのでしょう。
素敵なひょうたん細工を買うことで、
少しでも村が潤えば
旅行で行った者も役に立つのですね。
なんかまとまりませんが。
toki-sappさん
はい、そうです。ボランティア系の仕事を長い間していました。
カンボジアやラオスの村の現実は確かに重い事実です。
お産のときに母子ともに命を落としたり、下痢や嘔吐で脱水状態になるのか、5歳以下の子どもが、簡単に命を落とします。5人生んだけど、2人しか生き残っていないなどというお母さんに、たくさん会いました。何も言えませんでした。
しかし、旅行者も、知るだけで役に立つと思いますよ。同じ時代を生きて、しかも衣食住の、多くの材料を海外に頼っているのですから、彼らは無関係に生きている人たちと思わないで、仲間だと思うことからはじめたらいいと思います。
ひょうたんですが、今では町で日々排出される、飲み水のプラスティック容器が、きっと入り込んでいるでしょう。もう、私が行っていた頃から10年経っていますし。
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